じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 座主川のソシンロウバイ(素心蝋梅)。2004年1月12日掲載写真と同じ木。今年は寒さのせいか開花が遅いようだ。



1月25日(水)

【ちょっと思ったこと】

ホリエモン逮捕の影響

 ライブドアグループの前社長の堀江貴文氏(ホリエモン)逮捕関連のニュースが連日テレビや新聞を賑わしているが、率直に言ってこのことは私の人生には全く関係が無いどうでもよいことだ。

 しかし、この逮捕によって、「想定外」の影響を受けた人の今後の動向については非常に興味がある。

 1月25日朝の新聞広告にあった週刊新潮の広告見出しには

●「ホリエモン逮捕」に直撃された人たち

という特集があり、その中で、某占い師がホリエモンに「良い年になるわよ」と予言したと書かれてあった。某占い師と言えば、正月番組では「自民党の次期総裁は武部氏」とも予言していた。1月1日の日記にも書いたが、私はあの占い師が大嫌いだ。「予言」の当たりはずれにかかわらずそろそろ、テレビ番組からは姿を消してほしいと思う。

 ちなみに、昨年来のホリエモン騒動のとばっちりで想定外の波瀾万丈の生涯を送ることになった某テレビ会社の会長は、今回の事件でどのような影響を受けているのだろうか。

【思ったこと】
_60125(水)[心理]医療・看護と福祉のための質的研究セミナー(9)自分への誇りと文化

 1月15日午後に大阪府立大中百舌鳥キャンパスで行われた

医療・看護と福祉のための質的研究セミナー「あなたにもできる質的研究:着想から投稿までのノウハウを教えます」

の参加感想の9回目。

 「シンポジウム 医療と福祉における質的研究の2番目

●文化としての“健康観"の探究―エスノグファーの目から見た高齢者にとっての健康(大森純子氏・聖路加看護大学)

の後半は、

●高齢者にとっての健康:『誇りをもち続けられること』〜農村地域におけるエスノグラフィーから〜(日本看護科学会誌, 2004, 24, 12-20.

というご自身の論文を題材にした、研究の進め方の紹介であった。

 ここでまた、話題提供の内容から少々脱線するが、ここでは文化は、
文化とは、経験を解釈して行動を生み出すために、特定集団の人々が伝承し、身についている知識である。
という、Apradley(1980)の定義が採用されていた。大森氏は、この定義に基づき、文化としての健康の記述を目ざす必要からエスノグラフィーを採用する必然性を強調された。

 じつは、ちょうど1月25日の授業で、

●Glenn, S.S(2004).Individual Behavior, Culture, and Social Change. Behavior Analyst. 27, 133-151.

という行動分析の立場からの文化の定義を取り上げたばかりであった。個人的にはGlenn先生の枠組みで文化や社会行動をとらえることは非常に有意義であると思うのだが、私自身はまだ具体的事例に対するアプローチのしかたを自分の言葉で述べられる段階に至っていない。そのうち、比較考察をしてみたいと思っている。




 もとの話に戻るが、

●自分への誇りをもち続けられること

というのが高齢者にとっての“健康"のテーマになるという結論は納得できるものである。これは、「老化によつ身体の衰え」、「農業の機械化による役割の喪失」、「家族の一員としての立場の喪失」といった高齢化に伴う坑えない現実に拮抗するものであり、「自身で何でもできる自分」「農業を続けられる自分」「家族に役に立つ自分」といった「自分への誇り」として保持されるものである。

 もっとも、この結論が直ちに「文化」と結びつくのかどうか、むしろ、こちらの論文にも書いたように、文化とは独立した「能動性の原理」、つまりスキナーが言うところの「能動的に行動し、適切に強化される機会の保証」こそが結果的に自分への誇りをもたらしていると考えたほうがスッキリするように思える。

 次回に続く。