じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] ゴールデンハムスターの寿命は2〜3年であると言われているが(6年半という長寿記録があるというが本当だろうか)、この写真のオスは約3歳2カ月。2004年2月4日の日記に関連写真あり。昨年3月26日の日記でも「死んだ動物が生き返ることを実感させるハムスター」として取り上げたことがある。



3月7日(火)

【思ったこと】
_60307(火)[心理]セクハラ等防止講演会“心に愛をはぐくむために”(前)

 1日前の話題になるが、大学主催の「セクシュアル・ハラスメント等の防止等に関する 講演会」に参加した。

 この種の講演会は毎年一度以上開催されており、昨年の参加感想は2005年3月3日の日記に記してある。

 さて、昨年が、某大学のハラスメント相談室教授による具体的事例をまじえての講演であったのに対し、今回は、某カトリック系大学の学長をお招きしての

●心に愛をはぐくむために

という講演であった。事務担当から送られてきた参加案内メイルには
趣旨
セクシュアル・ハラスメント等の発生原因のひとつに,今日の若者の考え方に大きな変化が起きていることがあげられます。
講演会を通して教職員及び学生が人の心,すなわち倫理観を理解することにより,健全な職場環境を保持し,ひいてはセクシュアル・ハラスメント等の防止に役立たせることを目的とする。
と記されており、どうやら人間存在の根源に立ち返って、セクハラ、アカハラ防止に取り組もうという趣旨であったようだ。

 そんなこともあって、今回の講演では、パワーポイントも配付資料も一切無く、講演者がマイクの前で、蚊の鳴くような声でと言ったら大げさだが、とにかく、耳をすまさないと聞き取れないような声で語りかけるという形で行われた。それはそれで感動的なお話であり、特に、信仰をもっている教職員には胸に響くものがあったに違いないと思うが、もともと、理屈っぽいことの好きな私にとっては、いくら感情を込めて「〜というような気がします」と語られても、「その根拠はどこにあるのですか?」と問いかけてみたくなるような部分もあった。講演の直前まで

●上野千鶴子編『脱アイデンティティ』(ISBN:4326653086)

を読んでいたことも、多少違和感を覚える一因になっていたかもしれない。



 さて、講演ではまず、『五体不満足』(ISBN: 4062091542)に言及されたあと、誠実に生きることを妨げるものとして
  • 物質主義
  • 苦しみを避ける傾向→安楽死志向
  • 実利主義
  • 待つことができない→刹那主義
という4点を挙げられた(あくまで長谷川の記憶に基づく)。

 ついで主体的な生き方、自分の価値観、自分らしさを取り戻す、といったことの意義が強調された。素朴にはそういうことは大切であろうとは思うが、上掲の本や、最近読んだもう1つの本

●サトウタツヤ・渡邊芳之『「モード性格」論―心理学のかしこい使い方』(ISBN: 4314009977)

などの主張と合わせて考えてみると、「自分らしさとは何か」というのは根本から問い直してみる必要があるように思った。




 次に、「人間とは何か」に関して、人間とは「交わりを求める」もしくは「交わりに召された」存在であること、具体的には3つのタイプの対話を交わしながら生きる存在であるというようなお話があった(あくまで長谷川の記憶に基づく)。
  1. 自分自身とのあいだの対話をする存在
  2. 隣人との対話を交わしながら生きる存在
  3. 自分を超える者と対話を交わしながら生きる存在
 上掲の「モード性格」の本の中に、一人称的性格、二人称的性格、三人称的性格という話があり(p.228〜234)、上記の1.と2.はこれに対応する部分があるかなあと思ったが、3.についてはもともと私の人生観には含まれていない視点である。キリスト者であれば当然これは「神」を意味するのであろう。もちろん、不遜であることを否定できないような生き方をしている私ではあっても、それぞれの道の達人の声には謙虚に耳を傾けるし、大自然はまさに「自分を超えた存在」そのものであると思っているところではあるが、私は少なくとも対話を始めるにあたって、隣人と「自分を超える者」を区別することはない。超えているか超えていないかというのはどうでもいいことだ、もともとそんな上下関係など存在しない、というのが私の発想である。

 時間が無くなったので次回に続く。