じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
8月19日の昼過ぎ、久しぶりに雨が降り、駐車場の凹みには水たまりができた。しかし局地的な俄雨に終わったため、公式記録では降水量はゼロのままとなっていた(←観測値に資料不足値を示す記号が付加されているので、連続無降水記録日数更新になるかどうかは不明)。
|
【ちょっと思ったこと】
小林祐梨子さん健闘 北京オリンピック12日目の8月19日、陸上・女子5000メートル予選に出場した小林祐梨子選手は予選1組目で7着となり、自動的に決勝に進める6着とは僅か0秒75差、また、2組目と合わせた全体の順位でも決勝枠内より順位が1つだけ低く、まことに残念ながら決勝に進むことはできなかった。 ウィキペディアの当該項目にも紹介されているように、小林さんは、2007年4月に豊田自動織機へ入社し、社内留学制度を活用して岡山大学に在学している現役の岡大生である。まだ若いので、将来性十分。今後ますますの活躍に大いに期待したい。 |
【思ったこと】 _80819(火)[旅行]花のカムチャツカとアヴァチャ山登山(8)60歳代パワーに圧倒される/添乗員さんの役割 今回のツアーには15名の参加者があったが、私より若い方は数名?のみであり、60歳代以上の団塊世代?の方々が圧倒的多数を占めていた。食事中や移動中にも賑やかな方が多く、これまで参加した各種ツアーとは異なる独特の雰囲気があり、60歳代パワーに圧倒されてしまった。 出発時、今回15名もの多くの参加者(←六輪駆動車の乗車定員上、15名程度で満席となる)があったこと自体に少々驚いたところであったが、旅行中にいろいろ伺ったところによれば、どうやら一番の理由は、四川大地震の影響で、大姑娘山(タークーニャン山、標高5025m)登頂ツアーが中止となり、そこに申し込んでいた人たちが、旅行社の勧めでこちらのツアーに切り替えたという事情があった模様である。よって、来年夏以降、同じ規模でカムチャツカ8日間ツアーが催行されるかどうかは微妙である。 また、今回は、同じ旅行社、同じ添乗員の方のツアーに繰り返し参加している方が複数おられ、知り合い同士ということもあって相当に盛り上がったようだ。 ちなみに私個人は、もともと静かな山旅を好むタイプなので、旅行先の出来事と無関係の話題(過去の旅行の体験談や、場を盛り上げるためのダジャレなど)で賑やかになることはあまり好まない。ま、そうは言っても、団体ツアーの性格上ある程度の協調は必要であり、できるだけ目立たず、相手に不快感を与えない程度で、できるだけ関わりを少なくするように振る舞った。 もっとも、添乗員を含めてあまりにも話が盛り上がってしまったために夕食の時間が長くなり、翌日の行動スケジュールの案内が行われないためになかなか席を離れられないというのは少々窮屈に感じた。個人的には、夕食はさっさと済ませて、近くの温泉プールで泳いだり、ホテル周辺を散歩したいと思っていても、他の人たちがみな食事中の話題で盛り上がっていると、自由行動がきかなくなるのであった。 少々脱線するが、私がもし将来、高齢者施設に入居することになったら、食事はできるだけ一人でのんびりと、また、高齢者向けのアクティビティサービスについても、集団で一斉に行うのではなく個人個人の空間と時間を大切にしたサポートをしてもらいたいものだと思う。 今回のツアーの添乗員さんは、過去に参加した各種ツアーと比較すると、かなり個性的なタイプの方であった。そのことが魅力で、「○○さんが添乗員ならば参加する」というファンもおられるようだ。逆に、ああいうタイプは懲り懲りだという方もおられるかもしれない。 私個人はもともと、添乗員さんの個性的魅力とか、付加価値的なサービスなどには殆ど関心がない。
過去に参加したツアーで記憶に残っている添乗員さんというのは、何かのトラブルがあった時に活躍してくれた方々であることが多い。最近の旅行では、チベット旅行の時の添乗員さんは中国語が堪能で、スーツケース不着や、青海チベット鉄道での硬臥車への移動、名物ホテルの社長への直談判など、かずかずの貢献をしてくれた。 もちろん、全く記憶に残らない添乗員さんであったからといって、働きが悪かったということにはならない。添乗員さんが大活躍する場が無かった(あるいは、ツアー参加者には気づかれないように大活躍していた)というのは、要するに、ツアー全体が日程通りに安全無事に成功したということの証しである。そう言う意味では、「添乗員さんの存在に全く気づかなかった」と感じさせるような添乗員さんこそが、最も有能な添乗員さんであるとも言える。 次回に続く。 |