東トルコで思ったこと(11)エルズルムの靴磨きで昭和30年代を懐かしむ
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旅行第7日目は、不思議なレストランで昼食をとったあと、徒歩で市内観光となった。
ウィキペディアから要約引用すると、
- エルズルム(Erzurum)は、トルコの都市。エルズルム県の県都。人口は約36万人(2000年)。多くの歴史的建造物が残されているほか、ウィンタースポーツも盛んである。2011年における冬季ユニバーシアードの開催地。
- 海抜約1800メートルの高地であり、気候は年間を通じて冷涼である。
- 第二次世界大戦後、アメリカ合衆国との連携を深めたトルコは、1955年より中東条約機構(のちの中央条約機構)の一員としてソ連と対立した。この冷戦期において、エルズルムは「The Rock」とNATOの暗号で称される重要な軍事拠点でもあった。
- 1980年代には大規模な地震によって多くの犠牲者が出ている。
上記では「気候は年間を通じて冷涼である」と記されているが、徒歩観光中に見かけた街角の温度計表示では34℃となっていた。
この都市では、メインストリートの歩道上に、たくさんの靴磨き屋さんが並んでいるのが目にとまった。日本では、昭和30年代、渋谷駅のガード下やハチ公前周辺で靴磨き屋さんが所狭しと並んでおり、その頃のことが思い出される。過去日記を検索したところ、以下のような記述が見つかった。
- 2006年12月18日
過去何十年も一生懸命仕事をしてきたからと言って、今後も同じ職種で働き続けることができるが将来にわたって保障されるとは限らない。この50年余りのあいだに数を減らしていった職種は、街中の氷屋さんに限るものではない。私個人の子ども時代を思い出してみても、
- 衛生屋さん:くみ取り式のトイレを巡回して、消毒などをしてくれる。水洗トイレの普及で姿を消す。
- 豆腐屋さん:スーパーの出店と冷蔵庫の普及で、晩のおかずに豆腐を買う人が減った。
- アサリ・シジミ売り:これも同様。
- 米屋さん:米の配給がなくなってから利用しなくなった。
- 牛乳屋さん:冷蔵庫と1リットルパックの普及で、牛乳配達を利用する家庭はめっきり減った。
- 靴磨き屋さん:道路の舗装が進み靴があまり汚れなくなったということか。
などなどいろいろある。このほか。私が生まれ育った町の商店街を稀に訪れると、昔にぎわっていた八百屋さん、魚屋さん、肉屋さんなどの数が大幅に減っていることに気づく。これは、冷蔵庫の普及で毎日買い物に行かなくても済むようになったことや、スーパーの出店によるものと思う。
- 2000年10月12日
これはITというより機械文明一般への批判になるのだろうが、私が子どもの頃には、今とは比べ物にならないほど多様なふれあいの機会があった。例えば、街角のたばこ屋さんは伝言板や連絡係をつとめてくれたし、朝一番にはアサリ売りのおじさんや牛乳配達が来た。バスに乗れば車掌さんの明るい声が聞こえる。渋谷のガード下には靴磨き屋さんやバナナの叩き売り、電車の改札口ではカチカチと切符を切る音など。もちろん銀行のキャッシュカードのように待たされずに済む便利さもあるけれど、人とのふれあいあってこその町だ。必要以上に無人化を進めるべきではない。
- 1999年10月16日
10月16日21時45分からのNHK教育「日本・映像の20世紀:東京都・後編」を懐かしく拝見した。私が記憶に残っているのは1960年代頃から。都電、ボンネットバス、紙芝居、靴磨き、井戸...。成人男性が帽子をかぶらなくなったのはいつ頃からのことなのだろうか。子どもたちの遊びからチャンバラごっこが消えたのは、子供向け番組から剣士物が無くなったころと一致しているようにも思えるが、はっきりとは記憶していない。
- 1997年8月15日
きょうは終戦記念日だった。私はもちろん戦後生まれだが、私が子どもの頃には、白い服を着た傷痍軍人が歩道上で膝をついたりアコーディオンをひきながら義援金を求めているのを、渋谷の駅前でよく見かけたものである。あの当時は、また、靴磨きがハチ公前から西口広場付近にたくさん店を並べていた。
そう言えば、今の人はどこで靴磨きをするのだろう。しかしよく考えてみると、あの当時は、路地裏はまだ舗装されていなかったので、世田谷くんだりから都心に通勤する人たちの靴は、たいがい泥だらけになる。これをきれいにしてから会社に行くというう需要があったからこそ、靴磨きの商売が成り立ったのだろう。このほか、世田谷の実家の周辺には防空壕のあとが残っていて、こっそり探検したこともあった。ボンネットバスや玉電が走り、山手線(当時は「省線」とも呼ばれていた)には、ぶどう色だったか焦げ茶色だったか忘れたが地味な色の電車が走り、東急デパートの新館(今のJR渋谷駅の真上、当時は「東横デパート」と呼んでいた)や五島プラネタリウムができるまえのことであった。
なお、写真の靴磨き屋さんは、クリームやブラシのケース(と思われる)が金ピカで、磨き台の側面には美しい絵画が描かれていた。料金は3〜5トルコリラ(約180〜300円)と表示されていたように記憶しているが不確か。
靴磨きが商売として成り立つためには、
- 適度に靴が汚れること。東京都心のような場所では、そんなに靴は汚れない。
- 人件費と料金と、お客の数との関係。高すぎればお客は集まらないが、安すぎれば職業として成り立たない。
- 機械式の靴磨きなどとの競合。
- 靴の価格や材料(革靴以外では利用されにくい)。
- 靴の修理の必要性。
エルズルムはトルコで最も大きなスキー場がある町でもあり、冬場には雪が降るはず。となると、冬場に靴磨き屋さんが街角で仕事をするとはちょっと考えにくい。なぜこの町に靴磨きが多いのか、けっきょく謎のままに終わった。
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