じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月24日の午後、テレビのアナログ放送はいっせいに「正午にアナログ放送は終了しました」というメッセージ画面に切り替えられた。写真は、岡山地区の各局の画面を比較した写真。

 まず、大きな違いとして、NHKは「きょう正午に」と表現しているのに対して、民放各局はすべて「本日正午に」となっていた。また、NHKが「今後はデジタル放送でご覧ください」としているのに対して、民放各局はすべて「今後はデジタル放送をお楽しみください」となっていた。公共放送を標榜するNHKは「ご覧」になるもの、民放の番組は基本的に「お楽しみ」を目的としているためだろうか。

 次に、ナレーションと音楽であるが、
  • NHK:女性の声
  • KSB(日本テレビ系):男性の声
  • RNC(テレビ朝日系):女性の声
  • RSK(TBS系):女性の声
  • TSC(TV東京系):女性の声(音楽無し)
  • OHK(フジTV系):女性の声(早口)
となっていた。

 ところで、 を録画する物好きな人間は私だけでは無さそうだ。特に50年前からアナログ放送を見続けていた中高年者にとっては、長年慣れ親しんできた鉄道路線や特急列車が廃止になるような名残惜しさがあり、最終列車を撮影するのと同じ感覚で録画予約をした人も少なくなかったのではないかと推察される。

7月26日(火)

【思ったこと】
_b0726(火)2011年版・高齢者の心と行動(39) ダイバージョナルセラピーワーカー・フォーラム2011(2)理事長による基調講演(2)

 昨日の続き。芹澤隆子理事長のご講演は、何度も拝聴しているので、過去にこの日記にメモしたところは一部省略し、これまでに書き忘れた点や、新たに提供された情報を中心にメモと感想を記していくことにしたい。

 まず、ダイバージョナルセラピスト(ここではオーストラリアの話。以下、「DT」と略す)の労働環境について。DTは感情に関わる仕事(emotional labor)という性質上、感情疲労が大きいというお話があった。DTの仕事場では感情的な要求が多いため、自分の感情はさておき、入居者の感情を第一に考えるという「感情ストレスへの耐性」が求められるということであった。そのこともあり、DTが仕事の何に対して満足感を感じるかという調査を行うと、給与・報酬や仕事の負担については満足感はきわめて低く、コミュニケーションはそれより若干高い。その中で最も満足感が高いのは「仕事の楽しさ」であるという。もっとも、日本ではチームケアの様態が相当に異なるため、日本のDTWが同じような状況にあるかどうかは不明である。

 次に、日豪の高齢者ケアの社会的背景について。特に興味深かったのは、オーストラリアの高齢者施設入居者の死因でいちばん多いのが「餓死」だというお話であった。オーストラリアの場合、本人が望まないのに胃瘻(いろう)などの延命策はとらないという(詳細は不明)。要するに、食物あるいは栄養物を摂取するというのは本人の権利であって、その権利行使を望まない人にまでチューブで流し込むようなことはしないという趣旨だろうか。しかし、過度の延命治療を行わないにも関わらず、オーストラリア人の平均寿命は80.9歳で世界5位。世界1位の日本人の82.3歳とは2歳しか違わないという。また、日本の自殺率は24.4人/10万人であるのに対して、オーストラリアは10.8人/10万人とかなり少ない点も注目される。

 以上の話題からは少し外れるが、2006年2月に京都で起こった認知症母殺人事件のことへの言及もあった。ネットで調べたところ、この事件の概要は以下のようなものであった。【産経新聞2006年 7月21日】
認知症の母殺害に猶予判決 京都地裁 「介護の苦しみ」理解示す

【略】

 判決によると、片桐被告は今年1月末、介護のために生活が困窮し心中を決意。2月1日早朝、伏見区の桂川河川敷で、合意を得た上で母親の首を絞めて殺害し、自分の首をナイフで切りつけ自殺を図った。

 論告や供述によると、片桐被告の母親は父親の死後の平成7年8月ごろに認知症の症状が出始め、昨年4月ごろに症状が悪化。夜に起き出す昼夜逆転の生活が始まった。

 同被告は休職し、介護と両立できる職を探したが見つからず、同年9月に退職。その後、失業保険で生活している際に、伏見区内の福祉事務所に生活保護について相談したが受給できないと誤解し、生活苦に追い込まれて心中を決意した。

 殺害場所となった桂川河川敷では、家に帰りたがる母親に「ここで終わりやで」と心中をほのめかし、「おまえと一緒やで」と答えた母親の首を絞め、自らもナイフで首を切り自殺を図った。前日の1月31日には、母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をしたという。

【以下略】
この事件について、芹澤理事長は、被告の「前日の1月31日には、母親を車いすに乗せ、京都市街の思い出の地を歩く“最後の親孝行”をした。」という部分に注目しておられた。上記の記事にもあるように、心中を思い立った一因は「夜に起き出す昼夜逆転の生活」にあったというが、前日の“最後の親孝行”の夜は、母親はスヤスヤと寝ていて、その寝顔ゆえに犯行を思いとどまったというエピソードがある。つまり、認知症であっても、昼間に適切なセラピーが施されていれば昼夜逆転の生活には至らなかったであろうということである。100%うまくいくというわけでもなかろうが、種々の施設においてダイバージョナルセラピーを適切に実施すれば、昼夜逆転は相当程度に減るのではないかと期待される。

次回に続く。