じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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1月10日の日記に「衝撃を受けるヴィーナス像」の写真を掲載した。これは、デジカメのフラッシュ撮影を「通常発光+スローシャッター」(スローシンクロ)モードに設定した際に偶然に写ったものであるが、その後、悪のりして色々な写真を撮ってみた。3枚ともいちばん明るく写っているのは月。それ以外は周辺の街灯である。スローシンクロモードでは、フラッシュをあてた対象物がブレないように自動的に補正されるが、背景は露出時間が長くなるのでブレてしまう。3枚いずれも、左上から火の玉が落ちてきて爆裂するように写っているが、実際は、シャッターを押した時にカメラが右下に傾くことによって、画像上は右下から左上方向にブレてしまうためではないかと思われる。 |
【小さな話題】 まちかど情報室のオモシロ・アイテム モーサテが終わった後、7時頃までNHKの「おはよう日本」を視ることが多いが、その中でも一番の楽しみは、「まちかど情報室」である。この2日間に紹介された中に、高齢者施設でも活用できそうな商品があったので、備忘録代わりに記しておきたい。
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【思ったこと】 _c0112(木)上野千鶴子特別招聘教授着任記念学術講演・シンポジウム(6)「自立」概念の転換(1) 昨日の続き。 講演では続いて、「自立」概念の問題が論じられた。 ここで念のためネットで「自立とは」をGoogle検索したところ648万件がヒットした。興味深いのは「自立 上野千鶴子」で検索しても25万3000件がヒットする。大ざっぱに計算して、「自立」に言及したサイトの3.9%には上野氏が関与していることになり、これは相当高い比率ではないかと思われる。 その中のこちらのサイトで、今回の講演とほぼ同じ内容の主張が適確にまとめられていたので、部分的に引用させていただく。 ...「自立」という言葉についても、定義の転換を図る必要がある。自立とは、依存のない状態を意味するのだろうか。そうした自立の定義自体、強者が行ったものである。誰かに依存していても、そのことを負い目に感じる必要はない。誰かに依存しなければ生きていけないならば、そのことを権利として主張できるように、自らを解放することが必要である。障害者の世界では、それが少しずつではあるが、積み上げられてきた。高齢者については、2000年の介護保険の実施が大きな転機となった。介護を受けることが権利として確立したのである。(後述するように、その仕組みは目下危機に直面しているが)。最近、サクセスフルエイジングなど、加齢による身体の衰弱を防ぐ方法が商品として注目されている。PPK(ピン、ピン、コロリ)なども同類である。しかし、所詮、それらは中年期を死の直前まで引き延ばすというむなしい試みでしかない。高齢化とは、多くの人々が障害を持って晩年を生きることを意味する。だとすると、その事実を受け容れ、他人に依存しながらも人間の尊厳を全うするという新しい自立の意味を見出すしかない。このほか、別のサイトで、上野氏の『女の敵』からの引用があったので、孫引きさせていただく。 何のための自立なのか。それは目的か?手段か?人が自由に自分のやりたいことをして生きられる、そのための手段として自立があるのではないか。なので、自立のための能力すべてを、自らが持っていなくてもいい。誰か持っている人から調達できるのならば、調達すればいい。まず、自分が何をやりたいのかが問われるのだ。 次回に続く。 |