じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
§§ |
梅雨のまとまった雨で「岡大湖」出現 梅雨前線と低気圧の影響で、岡山県岡山では、6月15日から17日にかけてまとまった雨が降った。6月17日朝までの72時間積算降水量は54.5ミリに達している。この雨で、岡大・北西端にある文法経グラウンドには、私が勝手に「岡大湖」と呼んでいる大規模な水たまりが出現した。 「岡大湖」の主な出現記録は以下の通り。
|
【思ったこと】 _c0617(日)マイケル・サンデル5千人の白熱教室 (1)サンデル流講義の特徴 6月16日(土)に放送された、 マイケル・サンデル5千人の白熱教室「すべてをお金で買えるのか」[前編] を視た。 今回の講義は東京国際フォーラムで5千人の聴衆に向け行った特別講義の模様を2回に分けて放送するというものであった。ネットで検索したところ、産経ニュースに関連記事があり、それによれば、
内容についての感想を述べる前に、気づいた点をいくつか。 まず、上掲の記事では「国内最大級の客席数を誇る同フォーラムのホールA(5012席)が、ほぼ満席となった。」、「同フォーラムによると、5千人規模の大ホールでの哲学講義は史上最大規模」とあったが、NHKの映像ではけっこう空席もあり、空席の割合から見ると3000人〜4000人前後であったように見えた。とりあえず申し込んでおいて、当日の都合で欠席した人もかなり居た模様である。 サンデル先生の講義は、ハーバード白熱教室以来、いちおうすべてを録画しているが(←但し、DVDにダビングしただけでまだ拝聴していないものも多い)、とにかく、大勢の聴衆を前に、フロアからの発言を求めて、それに適切にコメントを加えながら、双方向型の授業を進めているという点で大きな特徴がある。もっとも、そこで行われる議論というのは、できるだけ多くの参加者から公平に発言を求めるという形では必ずしもない。まずは、サンデル先生の主張とは異なる素朴な発言を求めておいて、追加の論拠を挙げた上でそれに反論し、さらに別の意見を求める。そうして、サンデル先生の主張に合致するような発言があると、「今、○○さんが興味深い発言をしてくれました」といって、それはとても素晴らしい発言であるというようなポーズを見せる。例えば、今回の講義の中のスイスの原子力の放射製廃棄物処理場問題で、「報奨金が支払われると知ったとたんに「構わない」という人が51%から25%に、半分になってしまった。」理由についてフロアから意見を求めたところ、まず男性Aという人が、 「お金が払われることで、危険性の認識が高まったのではないでしょうか。」 と発言した。するとサンデル先生は、 「分かりました。それも1つ可能性のある理由ですよね。報奨金を払うならば町民の人たちは以前よりも本当に危険なのだと思ってしまう。そういう可能性もあります。ただ実際は、スイスの場合は違った理由からだったんです。というのも、事前に「どのくらいの危険性があると思いますか」という質問も町民にしていたんです。すると「リスクの推定については(報奨金の話が出る前も後も)ほとんど同じ」としました。つまり他の理由があったはずです。」 という追加の証拠を出してそれを否定した。次に男性Bが 「政府が払うと言っているので、6000ユーロでは妥協しないという人が増えたんじゃないでしょうか。もっと言えばもっと払ってもらえると思う人が多かったということです。」 と述べたが、サンデル先生はこれに反論する証拠はお持ちでなかったようで、 「反対票を投じたのは交渉の戦術だったかもしれない、というわけですね。そういう可能性もあるかもしれません。他にはどうでしょう?」 と軽く受け流した。そうして、最後ににミワコさんが、「最初は善意というか共同体のために人肌脱ごうという気持ちでいたのが、値段を付けられて、おとしめられたような気持ちになったのだと思います。」と発言すると、それはとても素晴らしい発言であるというようなポーズを見せて、 「お名前は? ミワコですね。今ミワコが面白いことを示唆してくれました。最初の質問のときには「自分の地域や国のために必要だから犠牲になろう」という責任感からでした。それがお金を払うことになれば、もう犠牲でも何でもなくなってしまいます。つまり「共通善」ではなく、お金のためにする堕落感が生まれてしまったのです。町民は全体のためになる犠牲は払うけども、お金のために家族を危険に晒したくないということですね。ありがとうございます。」 と賞賛した。ここまでの「議論」では、じつは、男性Bの意見とミワコさんの意見はどちらも同程度の可能性があり未だ決着していない。しかしサンデル先生は男性Bの意見については「そういう可能性もあるかもしれません。他にはどうでしょう?」と受け流し、ミワコさんの意見が出た時に、それはとても興味深いというように賞賛して、次に議論を進めていくのである。であるからして、形の上では、受講生参加型の双方向授業のように錯覚してしまうが、じっさいには、ある方向に意見が誘導され、サンデル先生の言いたかったことを受講生に発言させるという形で講義が進められていくのである。ま、単なる討論会ではなくてあくまで講義なのだから、ある立場や主張に有利になるように誘導していくことが別段悪いとは思わないけれど...。 このほか番組を視聴していて興味深かったのは、サンデル先生が時たま行う投票型の質問に対して、受講生の「賛成」「反対」が分かれているという点であった。例えば、番組の最初のほうの質問: 「病院の予約券を競りにかけて売るダフ屋行為は、自由市場の在り方として構わないですか? 間違っていると思いますか?」 という質問などは、私は(日本人なら)ほぼ全員が「間違っている」票を投じると思っていたが、「構わない」と答えた人も少なからず居た。また、今回の番組(前半)最後の質問 「今の日本では、お金はどれほどの役割を果たしていると思いますか? あなた自身が思う以上にお金がかなり大きな役割を果たすようになっている、まん延しているという人は「はい(赤)」を、そうではない、それほどお金は自分が思うほど役割を果たしていないという人は「いいえ(白)」を上げてください。」 なども、私は大部分の人が「赤」を選ぶと予想していたのだが、実際には赤:白=6:4くらいに見えた。このほか、全体を通して、お金で何かを買うという種々の質問についても半々の結果であることが多かった。以前なら「西洋人はこう考える。日本人はこうだ。」というようにタイプ分けができる問題も多かったと思うのだが、いまの日本人では、世間一般での善悪を問うような質問に対しては一丸となって「こう思う」というような方向は示されることは少なく、てんでバラバラの方向を向いているという印象を強く受けた。もはや、昔ながらの「西洋人vs日本人」というタイプ分けは通用しないと考えたほうが良さそうである。 次回に続く。 |