じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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ヴィーナス(金星)と一般教育棟構内のヴィーナス像。1ヶ月前の写真に比べると、金星の高度(仰角)は相当に低くなり、樹木の影に入ってこのアングルからの撮影はできなくなりそう。 なお、明けの明星と宵の明星がどのくらいの期間、どういう位置に見えるかについてはこちらの図が参考になる。それによれば、 金星と地球の会合周期は584日ですが、その5倍は地球の公転周期(約365.25日)のほぼ8倍にあたります。そこで金星の地球上での見え方は、8年ごとにほとんど同じ状況が再現されることになります。そして、その8年の間に、明けの明星と宵の明星はそれぞれ5度づつ見られます。それぞれの軌跡はまたその8年後にわずかのずれでくり返されることになります。となっており、リンク先の左のほうの図で「04/10」から「04/11」と表示されている黄緑色の軌跡が、2012年10月から11月とほぼ同じになっていることが見て取れる。 |
【思ったこと】 _c1025(木)第5回日本園芸療法学会in 岐阜(4)園芸療法・園芸福祉学の研究方法論(3)「福祉」と「幸」の字源 昨日の続き。 「園芸療法・園芸福祉学の研究方法論」と題するY氏の講演の中で参考になった3番目の点は、「福祉」や「幸」を字源から見直すという話題であった。まず「福祉」は
では「祉」とは何かということになるが、ネットで検索した限りでは、複数の掲示板や孫引きとして 藤堂明保は、「福は富なり、……神の恩恵によって豊に恵まれること」「祉は、神がそこに足を止めたもうの意味」といっている。中国の「易林」 という古典では、福祉という言葉が「天の恵みによって幸せな生涯をまっとうして喜ぶこと」の意味に用いられているという。と記されていた。このほか、字源辞典では「福なり、示に従ひ、止を聲とす。」とあったが、Y氏が「祉:英語の「wellbeing」。日常の幸せ。」とされたことを裏付ける出典は見当たらなかった。それはそれとして、上掲の指摘にもあるように、もし「福祉」という熟語が無かったら、わざわざ「祉」という漢字の書き取りの練習をしなくても済んだはず。2文字が必要なら「福福」でもよいはずで、「福福」ではなく「福祉」としなければならないのには何らかの根拠があるに違いないとは思う。 もう1つ「幸」の字源であるが、これはネットで検索しても容易に分かるように、「手かせ(手錠)」がもともとの意味であり、現在では「手かせをはめられる危険を、危うくのがれた」という意味であったらしい。 ま、時代の流れの中で新しい概念が生まれてきた時には、何かの漢字を当てはめるか、(私自身は好まないが)カタカナの新語で表すしかないわけで、字源との不一致はいくらでもあるし、不都合であれば別の漢字に取り替えてもいい。そういう意味では、字源にこだわらずに概念を明確化するべきだとは思う。但し、一般常識的に使われている概念について、字源に立ち返って意味を問い直してみるというやり方も、クリティカルシンキングとしてそう悪くないようにも思える。 次回に続く。 |