じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
9月10日朝の岡山はよく晴れて、地平線からの日の出を眺めることができた。なお、太陽の左上を飛んでいる群れはスズメ、その真下は龍ノ口山。左端は半田山。その上を飛んでいるのは、コシアカツバメ。 |
【思ったこと】 130909(月)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(14)選択と後悔(8)後悔を避けようとする追求者?/オミッション・バイアス 昨日に続いて、シュワルツの著書の第七章に戻って、シュワルツ自身が挙げた具体例について検討していくことにしたい。 Schwartz,B.(2004).The paradox of choice: Why more is less. New York: Harper Perennial.【ペーパーバック版】 さて、第七章では続いて、後悔尺度得点と追求者(maximizer)との関係について簡単に論じられていた。シュワルツが共同研究者と行った研究によれば、後悔尺度で高得点となった者は、幸福度が低く、生活への満足度が低く、あまり楽観的でなく、抑うつ的であるという。そして、おそらく、後悔しないで済むようにしようとする傾向が、結果としてその人を追求者にしてしまう可能性がある。つまり、最良の決定をすれば後悔しなくて済むので、少しでも良かれ、もっともっと、というように追求を続けていくのである。選択肢が多ければ多いほどこの傾向が生じる。このことが、選択肢が多いほど幸せになれるとは限らない原因でもあるという。 以上の主張については、根拠となる論文(おそらく、Schwartz, et al., 2002, JPSP, 83, 1178-1197.)を入手していないので何とも言えないが、単なる相関ではなく、「後悔を避けようとすることが追求者」という因果関係まで証拠づけられているのかどうか、詳細に検討する必要がありそうだ。また、仮に、追求者の行動が「後悔を避けようとする」ことに起因することが証明されたとしても、今度は、なぜ後悔が嫌子になるのかという問いが出てくる。これについては、9月4日の日記で述べたような分析が必要である。 いずれにせよ、高齢者の場合は、加齢や健康状態などの影響が加味されるため、個体差ばかりでなく、歳をとることによる個体内の変化についても注目する必要があるように思う。 第七章で次に議論されているのはオミッションバイアスである。一口で言えば、「行動したことについての後悔」と「行動しなかったことについての後悔」ではどちらが大きいかという議論である。第七章では、株の買い換えについての例が挙げられていた。A社株とB社株があり、ある時点でB社株が大きく値上がりした。よってA社株を持っていた人は儲からなかったことを後悔する。この場合に、A社株を持ち続けていた人と(行動しなかったことについての後悔)、値上がり前にB社株を売ってA社株に乗り換えた人(行動したことについての後悔)とではどちらがたくさん後悔するかという例が挙げられており、多くの人は、行動したことの後悔が大きいと答える。 ちなみに、リンク先のウィキペディアの当該項目では、 It is the tendency to judge harmful actions as worse, or less moral than equally harmful omissions (inactions) due to the fact that actions are more obvious than inactions. It is contentious as to whether this represents a systematic error in thinking, or is supported by a substantive moral theory. For a consequentialist, judging harmful actions as worse than inaction would indeed be inconsistent, but deontological ethics may, and normally does, draw a moral distinction between doing and allowing. The bias is usually showcased through the trolley problem.となっている。上記にもあるが、やらなかったことによる後悔は倫理的な問題にも大きく左右する。 第七章では、これとは別に、短期間のスパンでは「やってしまった後悔」のほうが大きいが、人生の遠い過去を振り返るような長いスパンでは、「やらなかったことの後悔」のほうが大きいという研究もあるという。【おそらく、Gilovich & Medvec, 1995m Psychol Rev, 102, 379-395.】 長いスパンで後悔の質が変わるかもしれないということは、高齢者では重要な研究対象になりそうだ。但し、ここで扱われている「失敗」というのは、もはやどうにもならない取り返しのつかない失敗ということではない。「人間万事塞翁が馬」ということわざにあるように、長いスパンで人生を振り返った場合は、人生には成功もあれば失敗もあり、災い転じて福となることもある。そうではなく、例えば、人を殺して死刑宣告を受けたような場合は、やはり、「やってしまった後悔」を持ちづけることになるものと思われる。 次回に続く。 |