じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
2013年度版岡山大学構内の紅葉(15)農学部のイチョウ並木の昼と夜 農学部・東西通りのイチョウ並木の黄葉もそろそろ終盤となり、枝についた葉っぱよりも地面に落ちた黄金色の絨毯のほうが目立つようになってきた。また半田山の紅葉もだいぶ色あせて茶褐色になってきた。 そんななか、12月4日の夜、近くのカンコースタジアムの夜間照明により、「勝手にライトアップ」光景が見られた。こちらに比べると遥かに暗いが、かえって幻想的に見える。 |
【思ったこと】 1301204(水)九十歳になったら(3)やなせたかしさん 12月2日の日記の続き。今回は、10月13日に94歳でお亡くなりになった、やなせたかしさんの追悼関連番組、 アンパンマンに託した夢〜人間・やなせたかし〜 についてのメモと感想。 やなせさんのことは、お亡くなりになった直後の10月15日にも書かせていただいたが、その後、上掲の番組やその後の検索を通じて、新たに知ったことがいくつかあった。 第一は、アンパンマンがテレビアニメ化されたのは、やなせさんが69歳になられた時であったということ。もともと大人向きのマンガとして描かれ、自分の顔を食べさせるのはグロテスクだといった批評もあったらしいが、幼稚園の本棚に並べられていたアンパンマンの絵本は手垢がついていてたくさんの子どもたちに読まれていたことが分かり、このことがテレビアニメ化のきっかけになったというようなエピソードも紹介されていた。加齢による、衰退や離脱ばかりを考えてしまいがちであるが、苦労をして積み重ねたことはいつか花開くこともある。まさに、やなせさんの詩にあるような闇を照らす光のような実例になっている。 第二に、ウィキペディアの当該項目を閲覧して、やなせさんは、 アンパンマンのヒットの時期から既に体調は必ずしも良好ではなく、60歳代末期には腎臓結石、70歳代には白内障、心臓病、80歳代には膵臓炎、ヘルニア、緑内障、腸閉塞、腎臓癌、膀胱癌、90歳代には腸閉塞(再発)、肺炎、心臓病(再発)と順調に病歴を重ねていた。というように、数十年以上にわたって、さまざまな病苦に耐えてこられたということを知った。テレビに出演される時のご様子はいつもお元気で快活のようにお見受けしたが、常に病いと隣り合わせに生きてこられたようである。確かに、晩年に創られた詩の中には、死をテーマにしたものがあり、季刊誌「詩とファンタジー」24号(10月19日刊)には、天命というタイトルの遺作が掲載されている。なお、ウィキペディアによると、やなせさんがお亡くなりになった直後には、東京新聞2013年10月16日付の追悼記事で「ダンディーで信仰あついクリスチャンだった」と報じられたことがあったが、11月20日付で「10月16日朝刊31面で故やなせたかしさんを[クリスチャン]としたのは誤りでした。」との訂正記事が出ているとか。このほか、2011年には生前葬も企画、「清浄院殿画誉道嵩大居士」という戒名入りの位牌も準備されたが、仏教徒というわけでもなさそうであった【この企画は、大震災発生により白紙に】。遺作の「天命」においても、「ゼロの世界へ 消えていくでござる」と記されており、「死=ゼロに帰する」というお考えを持っておられたようにも思えた。 第三は、以前からある程度は知っていたことが、東日本大震災のあと「アンパンマンのマーチ」は最も多くリクエストされ、おそらく最も多く歌われ、多くの被災者を励ましているという。番組でも歌詞の一部が紹介されていたが、歌詞は、決して自己犠牲礼賛ではなく、生きる意義と喜びをポジティブに歌い上げているように思えた。今回の番組に出演されていた、中村圭子さん(弥生美術館 学芸員)が、やなせさんの詩は闇を描くものが多いが、暗いところを歩いているがどこかに光があり、多くの読者に共感を与えるものになっていろいうようなことを指摘しておられたが、この歌詞も同様。さまざまな病を背負って94歳まで長生きしておられた、やなせさん御自身も歌詞と同じ内容の生き方をしてこられたように思う。 不定期ながら次回に続く。 |