じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
今年のお雑煮【写真左】。世代交代により、昨年の具の中身が多少変わっている。 |
【思ったこと】 140103(金)お正月の生活から老後のライフスタイルを占う 毎年同じようなことを書いているが、お正月の生活は、老後のライフスタイルを占う上で重要なカギになると思う。私の場合は、他者との交流は最小限にとどめ、毎日1回の散歩を除いてはもっぱらコタツにこもって、何かを読んだり、書いたり、DVDを視たりする程度で、まさに隠居老人そのものの暮らしぶりであった。じっさいの老後がどういう家族構成になるのかは分からないが、1日24時間の時間配分にそれほどの差は無いように思われる。 私は別段、対人恐怖ではないし、極端に協調性に欠けるというわけでもないが、何というか、たとえば、忘年会で夜の数時間を談笑に費やすというのはどう考えても時間の無駄で、終わったあとには、きょうは1日損をしたという気持ちにしかならない。大した努力をしているわけではないが、常に、新しい世界を体験し、新しいことを知り、かつ、過去の体験と関連づけながら生きていきたいとは思う。けっきょく、他者との交流に時間を費やすことはそれを妨げるであり、また、他者にいろいろ気を遣うのが面倒で煩わしいというのがホンネであるかもしれない。 いま上に述べたことと、離脱理論型人生志向とは矛盾するようにも見えるが、「新しい世界を体験し、新しいことを知り、かつ、過去の体験と関連づけながら...」というのは私の場合、きわめて限られた関心空間の中の世界であって、もはや、全く新しいジャンルに挑戦しようという気は無い。体力や知力の衰えとともに関心空間は少しずつ縮小していくのが当然であり、新しいものを求めるといっても狭められていく関心空間の内部での領域に限ったことである。 いずれにせよ、現実社会で離脱理論型人生を志向するというのは容易なことではない。昨年9月24日の日記にも述べたが、自立できなくなった高齢者が離脱理論型人生を全うするためには、いくつかの条件を満たすことが必須である。
最近は、住む家にしても、日々の食事内容にしても、ある程度満足できればそれでよいと思うようになった。そういえば、本日の朝食の時は、コーヒーが切れたので代わりに紅茶を飲んだ。以前はカフェイン依存傾向があって、何が何でもコーヒーが必要という時代もあったが、最近は、別段無ければ他のものでもいいという気になってきた。Schwartzの分類で言っても、私は基本的にSatisficerであって、後悔もしないし、選択で迷うこともない。 |