じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 今年のお雑煮【写真左】。世代交代により、昨年の具の中身が多少変わっている。


2014年1月3日(金)

【思ったこと】
140103(金)お正月の生活から老後のライフスタイルを占う

 毎年同じようなことを書いているが、お正月の生活は、老後のライフスタイルを占う上で重要なカギになると思う。私の場合は、他者との交流は最小限にとどめ、毎日1回の散歩を除いてはもっぱらコタツにこもって、何かを読んだり、書いたり、DVDを視たりする程度で、まさに隠居老人そのものの暮らしぶりであった。じっさいの老後がどういう家族構成になるのかは分からないが、1日24時間の時間配分にそれほどの差は無いように思われる。

 私は別段、対人恐怖ではないし、極端に協調性に欠けるというわけでもないが、何というか、たとえば、忘年会で夜の数時間を談笑に費やすというのはどう考えても時間の無駄で、終わったあとには、きょうは1日損をしたという気持ちにしかならない。大した努力をしているわけではないが、常に、新しい世界を体験し、新しいことを知り、かつ、過去の体験と関連づけながら生きていきたいとは思う。けっきょく、他者との交流に時間を費やすことはそれを妨げるであり、また、他者にいろいろ気を遣うのが面倒で煩わしいというのがホンネであるかもしれない。

 いま上に述べたことと、離脱理論型人生志向とは矛盾するようにも見えるが、「新しい世界を体験し、新しいことを知り、かつ、過去の体験と関連づけながら...」というのは私の場合、きわめて限られた関心空間の中の世界であって、もはや、全く新しいジャンルに挑戦しようという気は無い。体力や知力の衰えとともに関心空間は少しずつ縮小していくのが当然であり、新しいものを求めるといっても狭められていく関心空間の内部での領域に限ったことである。

 いずれにせよ、現実社会で離脱理論型人生を志向するというのは容易なことではない。昨年9月24日の日記にも述べたが、自立できなくなった高齢者が離脱理論型人生を全うするためには、いくつかの条件を満たすことが必須である。
  1. 元気な時に、他者の世話をしたり、いろいろな支援を行い、その恩返しを受ける。
  2. 何の見返りも求めない慈悲深い社会の中で生きる。
  3. 福祉制度の充実した国で、当然の権利としていろいろな保障を受ける。
  4. よく言えば、何かしら人様のお役に立てる人間であり続けること。悪く言えば、他者から利用価値のある人間であり続けること。
  5. 財力があること。これは、要するに、国家によって維持される秩序のもとで、何かを独り占めしておき、格差を利用して他者に働いてもらうこと。
  6. 独裁者になって、暴力的手段で他者を働かせること。
 このいずれかの手段を行使できなければ、"助けて"と言えない 孤立する認知症高齢者になってしまうのである。いっぽう、こちらの方のように、いっけん日本版老子のような生活をされているものの相当の財力があり、かつ他者から慕われ、次々と御著書が売れている例もある。

 最近は、住む家にしても、日々の食事内容にしても、ある程度満足できればそれでよいと思うようになった。そういえば、本日の朝食の時は、コーヒーが切れたので代わりに紅茶を飲んだ。以前はカフェイン依存傾向があって、何が何でもコーヒーが必要という時代もあったが、最近は、別段無ければ他のものでもいいという気になってきた。Schwartzの分類で言っても、私は基本的にSatisficerであって、後悔もしないし、選択で迷うこともない。