じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ポット苗で購入してその後地植えした巨大輪ガーベラを大事に育てているところであるが【5月6日の楽天版に写真あり】、じつは、別の場所(岡大西門・西側花壇)で大量に開花しているテンニンギク(天人菊)の中に、区別がつかないほどそっくりの花があることに気づいた。もしこのガーベラがテンニンギクに混じって咲いていたら、まず、誰もその存在に気づかないであろう。

 また、テンニンギクのほうもこれだけいっぱい咲いていると個々の花の区別がつきにくくなるが、5月12日の写真【右側に再掲】にあるように、一輪だけ咲き始めた頃は、補色関係にある花を背景に結構目立っていた。


2014年5月17日(土)

【思ったこと】
140517(土)長谷川版「行動分析学入門」第6回(4)好子出現の随伴性による強化(11)消去(1)
 5月13日の続き。なお、これまでの連載は、加筆修正の上、今年度の教養教育科目の専用サイトに、まとめてあります。過去日記よりは、下記のリンク先のほうが整合性があります。よろしかったらご覧ください。【但し、前期授業終了後には別のURLに移行する予定】
 ということで、今回は、上掲の第三章の中の「消去」の節に入ります。

 消去というのは、好子出現の随伴性が中止されたことによって、好子出現で強化されていた行動の頻度が低下し、殆ど起こらないような状態に至ることを言います。杉山ほか(1998)では、
これまで強化されていた行動に対して
強化の随伴性を中止すると
強化の随伴性を導入する以前の状態まで
その行動は減少する
というように定義されています。この章では「好子出現の随伴性」のみを取り上げているので、それ以外の基本随伴性における消去については後述させていただきます。

 好子出現の随伴性における消去としては
  • 川に釣りに行ってそれなりの釣果をあげていたが、その後、川の生態系が変わって魚が1匹もつれなくなった。その後も何度か同じ場所に通ったが、ついに行くのをあきらめるようになった。
  • 失恋した相手に手紙を送り続けたが、一度も返事が貰えず、ついにはあきらめた。
  • 街角で露店を始めたが、お客さんが全然来なかったので商売をあきらめた。
というような事例がに該当します。

 ここで重要なことは、「消去」というのは、行動随伴性が
  1. 行動が強化された:行動すれば好子が出現するが、行動しなければ好子は出現しない
  2. 行動が強化されなくなった:行動してもしなくても好子は出現しない
という2段階の操作をもって定義されている点です。厳密に言えば、上掲の1.と2.は、「消去」を操作として定義していますが、「行動が消去された」という時には、行動の出現頻度が減少したというように、行動の変化現象まで含めた記述となっています。本来は、操作部分と、操作によって生じた行動変化部分を分離して別の概念で記述したほうがよろしいのではないかと思いますが、これまでのところ、その必要性を論じなければならないほどの混乱は起こっていません。

 いずれにせよ、「消去」というのは一言で言えば「諦める」ということです。諦めれば無駄なことにエネルギーを使わなくて済みますし、新たな可能性にチェンジできるようになります。

 しかし、現実には、なかなか諦めきれない事例がたくさんあります。上掲の、「失恋した相手に手紙を送り続ける」という行動は通常は消去されていきますが、中には失恋相手にしてもらえないことに逆上してストーカー事件にエスカレートすることもあります。

 また、「待ちぼうけ」という童謡がありますが、その歌詞によると、
待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木のねっこ
となっていて、主人公は、木の根っこのところで再びウサギが現れるのを待ち続けるようになります。これは、ウサギが転げたという出来事によって、ウサギを待つという行動が強化された事例です。しかし、実際には、二度とウサギは現れません。通常は、ウサギを待つという行動は消去されるはずです。しかし、歌詞によれば、
待ちぼうけ、待ちぼうけ
もとは涼しい黍畑
いまは荒野(あれの)の箒草(はうきぐさ)
寒い北風木のねっこ
となってしまい、キビ畑が荒野になるまで、ウサギを待つという行動は消去されなかったようです。

 このように、なかなか諦めないことは不適応を引き起こすことがあります。消去段階に入ってからもなお、頻繁に行動が生じ、時には、強化されていた時より激しい行動が生じる状態は「消去バースト」と呼ばれます。

次回に続く。