じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 津島東キャンパス内のサンゴジュが赤い実をつけている。今年はサンゴジュハムシの被害もなく、例年になく色づきのよい実をたくさんつけている。写真上は赤味を増す実の色。写真下は6月上旬に咲いていた白い花。


2014年8月19日(火)

【思ったこと】
140819(火)2014年版・高齢者の心と行動(1)

 9月にこのテーマでお話をする機会があるので、今年度版の概略をまとめておこうと思う。

 このことについては、2011年5月13日から 同年8月21日まで、長期にわたって連載をしたことがある。考え方自体はそれほど変わっていないが、限られた時間の中ではすべてを伝えることは不可能であり、より強調したい点に話題を集中し、残りは大胆にカットするという方針で、内容を更新したいと思う。

 2011年版では、
  1. 他者の心を理解する仕組み(予測と制御、因果関係の理解、弁別行動の仕組み、弁別行動の再帰的定義としての他者理解)
  2. 行動を活発にする仕組み
  3. 喜びに低級や高級の区別は無い。喜び自体には上下はない。但し、同じ喜びであっても、喜びを与える仕組み(随伴性)によって、持続的で「希望」を与える喜びにもなるし、刹那的で虚しさだけが残る喜びにもなる。
  4. ドーパミン型とセロトニン型の区別は必要。
  5. 高齢者が喜びを得るためには何が用意されなければならないか。
といった話題を取り上げたが、2011年から13年までの経緯をふまえて、他者理解に関する話題はすべてカット、また、専門用語は極力避けて、「生きがいとは、能動的に行動し、それに見合った成果を達成している状態。」【=能動主義的人生観】という点を強調していきたいと考えている。言うまでもなく、今述べた「生きがいの基本」は、かつてスキナーが来日講演で説いた「The Non-Punitive Society(罰無き社会)」の中で
Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed.
と述べたことを、できる限り分かりやすく言い換えたものであって、私のオリジナルの考えというわけではない。スキナーの講演録は、佐藤方哉訳(行動分析学研究、1990, 5)では、
幸福とは、正の強化子【=好子】を手にしていることではなく、正の強化子【=好子】が結果としてもたらされたがゆえに行動することなのです。
と訳されており、かなり意訳すれば、
好子(positive reinforcers)自体を手にしているだけでは決して幸福にはなれない。好子出現によって強化されているような行動の中にこそ、真の幸福(生きがい)がある。
 さらに意訳すれば、
モノをいくら手に入れても幸福にはなれませんよ。幸福というのは、行動することで初めて得られるものです。といっても、徒労や強制労働は含まれません。結果として好子が出現するように強化されている行動の中にこそ真の幸福があります。
あるいは、
いくら、好子、好子と追い求めても、真の幸福をもたらす好子など決して存在しません。いっぽう、がむしゃらに行動するだけでも幸福にはなれません。「行動」と「好子出現」がセットになって初めて、真の幸福(生きがい)を実現させることができます。
とも言い換えることができる。【詳しくは、こちらの講義録第三章その1を参照されたい。】

次回に続く。