じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 座主川沿いの乙女椿。花の数は年によって異なるが、今年は比較的多い。

2017年3月29日(水)



【思ったこと】170329(水)徹底的行動主義の呼称の起源(10)

 昨日の続き。

 まず、3月26日の日記に記したように、私が調べた限りでは、刊行された書籍の中で「徹底的」が登場したのは、

佐藤方哉 (1983). 序論 学習研究の展開.【八木冕(監) 佐藤方哉(編) 現代基礎心理学 第6巻 学習U 東京大学出版会, pp.1-12.】

が 初めであったように思われた。このことに関して、著名な行動分析学者のN先生から、「徹底的」という訳語の発案は、佐藤先生ではなくてA先生ではないかという御指摘をいただいた。さっそく、A先生に、訳語成立の経緯についてお尋ねしたいと思う。

 ここで少々脱線するが、私は、「contingency(「contingencies」や「conntingent」を含む」という言葉が初めて使われたのは、1953年頃からであると思っていた。根拠は、行動分析学研究のスキナー追悼号(1990年)の中のラグマイ先生の特別寄稿:

ラグマイ(1990).私的回想:B・F・スキナーの学問の人間的拡がり.行動分析学研究, 5, 109-111.

の冒頭に、
「先生、先生は御自分のなさった心理学への最大の貢献は何だとお考えになりますか」私は、ある日の昼近く、ウイリアム・ジェームス・ホールにある先生のオフィスでこう尋ねた。B・F・スキナー教授は、一息つき遠くを見つめてから、考え深げにゆっくりと言った。「強化随伴性.…強化随伴性の概念です。この言葉をはじめて使ったのは何時だったか. . ・・60年代の初め…・いや多分もっと早かったろう.…」そして立ち上がり『科学と人間行動』に手をのばし調べようとした。
 「1953年に研究報告書の一つでその概念をお使いになったのをおぼえています。たしか、その報告書はファイルにおもちのはずです。」と私は応じた。
 スキナーは、熟慮のすえに、科学者としての最大の貢献は強化随伴性であることに想いがいたったのだな、と私は考えたものである。この会話が交わされたのは、今はもう昔の1968年、ハーヴァードにおいてであった。【セザリオ・ボロンガン/佐藤方哉・共訳】

 しかし、最近、もしやと思って、スキナーの最初の著書:

Skinner, B.F. (1938).The behavior of organisms: An experimental analysis. New York: Appleton-Century.

の電子版でキーワード検索を利用してカウントしたところ、随伴性(contingency(contingencies)」は6回、「contingent」は12回、すでに使われていたことが分かった。やはり、原典に基づいて自分で確認することが必要であると痛感した。なお、訳語の「随伴性」の発案者については未調査。

 なお、「随伴性」に関しては3月9日の日記で、随伴性と依存性の違いについて取り上げた。そのさい言及した、

G.S.レイノルズ(著)/浅野俊夫(訳)(1978). オペラント心理学入門 - 行動分析への道

の現物が見つかったので、「訳者あとがき150〜151頁」の該当部分を以下に引用させていただく。なお、この文章は、当時の大学院生からの質問に対してレイノルズ先生が出した返事の一部とのことである。【以下、長谷川による改変あり】
「……依存性(dependency)と随伴性(contingency)の違いについては,拙著の中で十分に説明したつもりですが,ここでもう一度やってみましよう。
1.ガンの原因となる物質はこの地球上に散在しています。ある人がこの物質に当たればガンになります。この物質に当たればガンになるという関係は依存性(この場合,生物物理学的必然性)ですが,誰が当たるかについては随伴性(現実の出来事ではあるが,そうなる必然性はなかった)です。つまり,ガン物質が散在していれば,誰かがそれに当たることになり,当たった人は必然的にガンになるでしょうが,誰が当たるかについては,何も必然的に決定されている訳ではなく,運,不運の問題です。
2.今,道路上を走っている車の列に向って,10秒に1発ずつライフル銃を発射したとしましょう。さて,この場合,依存性のある事象は何でしょうか。引き金を引くと弾が出ることと,厳密に言えば問題があるかもしれませんが,いずれどれかの車に弾が当たる(但し,交通量が十分に多い場合に限られるでしょうが)ことぐらいでしょう。あとのことは,全て随伴性,すなわち,偶然ではあるが現実の出来事です。弾が当たった車が大型であったか小型であったか,10人乗っていたか二人乗っていたか,前後の車との間隔が距離にして2フィートであったか,10フィートであったか,時間にして3秒であったか,4秒であったか,等々は皆,偶然の出来事です。
 これら二つの用語の意味は普通の辞書の通りで,哲学においても重要なものですが,行動を探求する際には特に重要なものです。実際問題として,随伴性を理解出来なかったら,行動を理解することも出来ないでしょう。
 なお、続く段落では、
Skinnerでさえ,初期にはこれらの用語を的確に使っていたのに,『強化の随伴性』という本の一部では,これらの用語の区別を全く曖昧にしてしまっています。おそらく,これは,著者自身が編者であったため,きちんとした編集がなされなかったためでしょう。
という記述があるが、スキナーが曖昧にしてしまっていると指摘されている部分がどこにあるのかは確認していない。