じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 1971年のテレビドラマ「大忠臣蔵」のオープニングと、私が好きな回の1つ「雪の十二月十四日」。なおこの回には、赤埴源蔵(フランキー堺)が慕う義理の姉の「おまき」さんが登場するが、これを演じているのは、後に芸能界から距離を置いて夫・大島渚の介護に専念した小山明子さん。

2018年1月27日(土)


【思ったこと】
180127(土)1月30日の討ち入りと「大忠臣蔵」

 1月27日の楽天版に記したように、2018年1月30日は、旧暦の12月14日にあたる。1703年の1月30日は旧暦の元禄15年12月14日であり、2018年と1703年は、グレゴリオ暦の1月30日と旧暦の12月14日が一致する年である。

 ウィキペディアによると、閏月挿入によって解消されるズレが最大30日分であることにより、旧暦の元日は1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動する。ということは旧暦の12月14日は、その16日前である1月5日ごろから2月4日ごろまでを移動する。グレゴリオ歴の1月30日が旧暦12月14日になる年、正月がかなり遅い年と言えそうだ。

 この記念すべき年に合わせたわけでもあるまいが、岡山・香川限定のテレビせとうちでは、昨年末から、テレビドラマ「大忠臣蔵」の再放送をやっていて、1月29日で最終回を迎える予定である。12月中旬頃にこの再放送をやっていることに気づき、全52回のうち最後の7回分は録画予約をしっかり入れることができた。

 「大忠臣蔵」のことは10年前の日記にも書いたことがある。とにかく、民放のドラマとしては破格の豪華キャストで構成されており、それぞれの名場面で名優たちが最高の見せ場を作っていて、私にとっては日本のドラマの中では最も印象に残った作品の1つであると言ってよいかと思う。

 とはいえ、半世紀近く経過したことによって、殆どの俳優さんはすでにお亡くなりになっている。ウィキペディアで調べてみたところ、
  • 三船敏郎(大石内蔵助):1997年12月24日没(77歳)
  • 渡哲也(堀部安兵衛)
  • 若林豪(前原伊助)
  • 石坂浩二(萱野三平)
  • 司葉子(大石りく)
  • フランキー堺(赤埴源蔵):1996年6月10日没(67歳)
  • 島田順司(茅野和助)
  • 市川中車(吉良上野介):1971年6月20日没(75歳)←番組収録期間中に急死。引き継いだ実弟の二代目市川小太夫も1976年没。
  • 丹波哲郎(千坂兵部):2006年9月24日没(84歳)
  • 芦田伸介(小林平八郎):1999年1月9日没(81歳)
  • 天知茂(清水一学):1985年7月27日没(54歳)
  • 大友柳太朗(鳥居利右衛門):1985年9月27日没(73歳)
  • 神山繁(柳沢吉保):2017年1月3日没(87歳)
  • 高松英郎(加倉井林蔵、公儀隠密の頭領):2007年2月26日没(77歳)
  • 上月晃(お蘭、柳生の隠密):1999年3月25日没(58歳)
  • 桂小金治(久兵衛、町人):2014年11月3日没(88歳)
  • 京塚昌子(お紋、町人):1994年9月23日(64歳没)
などとなっていた【誤記があれば後日訂正します】。赤穂義士たちは忠義と切腹をもって後世に名を残し、ドラマに出演した俳優の方たちは映像の中で永遠に生き続けることになるのだろう。

 10年前の日記にも書いたが、ドラマや歌舞伎の忠臣蔵と、史実としての赤尾事件とは、登場人物も展開もかなり異なっている部分がある。ウィキペディア当該項目にも記されているように、赤穂浪士の行動が「義」にあたるのかという事で、これは浪士達の吉良邸討ち入りが主君の為の「仇討ち」とみなせるかどうかにかかっているという。当時の価値観は現代とは大きく異ないるし、さらにドラマでは現在の価値観に合わせるように筋書きを変更しているためなおさら分かりにくい。私自身は最近、討ち入りを仇討ちや復讐と考えるのは間違いであり、これはあくまで、主君が成し遂げられなかったことを忠臣たちの命をかけた努力により達成したというところに忠義があると考えるべきではないか、と勝手に思うようになった。当時の価値観から言えば、主君がやり遂げようとしたことはその中身が何であれ絶対的に真であり、主君がそれを果たせなかった時は、家来は、何が何でもそれを引き継いでやり遂げるということである。当該事件では、主君が目ざしたのは吉良上野介殺害であったがゆえにそれをやり遂げることは形式的には仇討ちになったが、もし主君が大仏殿を造ろうとしてこころざし半ばで急逝した場合はその竣工をめざすことが、また、新田開発に取り組んでいたのであればその遺業を継ぐことが、忠義を尽くしたことになるのかと思う。

 なお、松之大廊下の刃傷事件により浅野内匠頭が切腹させられたのは当時のルールに基づく適切な処置であり、被害者の吉良上野介は脇差に手をかけなかったので「喧嘩両成敗」ではなく「おとがめなし」となったが、これも特に不公平とは言えまい。赤穂浪士たちが赦免ではなく切腹となった点についても特に間違っていたとは思わない。ま、当時はどうせそんなには長生きできなかったであろうから、武士としては、大過なく天寿を全うするよりも、切腹により名を残すことのほうが価値ある人生であったかもしれない。