Copyright(C)長谷川芳典 |
文法経グラウンドの水たまりに映る半田山の紅葉。大きな水たまりができた時は「岡大湖」と勝手に呼んでいる。過去の写真【抜粋】は以下の通り。
|
【連載】 PPKとSOCの死生観(1) 今年も残り1カ月となり、そろそろこの1年を振り返り総括する時期となってきた。 今年は定年退職という大きなイベントをこなし、その後、ニュージーランド、キルギス、チベットに出かけたり、孫たちと旅行したりして隠居生活を満喫してきた。これまでのところ、健康状態や体力には特段の異状はなく、来年も旅行資金が確保できればトレッキングに出かけたいと思っているところであるが、いつまでもこういう生活が続けられるわけではあるまい。 人生の終わり方としてよく言われるのが、
PPKかNNKか、というのは自分で選択できるものではないし、また、必ずしも明確に分かれるわけでもない。現実には、体力が少しずつ衰える中で、「補償を伴う選択的最適化」(selective optimization with compensation; SOC) という形で価値に接触していくことが求められるものと思われる。 もっとも、PPKは自分で選択できるものではないといっても、それなりの努力と覚悟が必要であろう。 まず、「PP」(ピンピン)の段階でするべきことがいっぱいある。少なくとも、
そして、この2点よりももっと必要となるのが、PPからKに切り替わる時の覚悟である。PPKは定義上は突然死だが、実際に突然死となるのは事故による即死くらいのものであり、たいがいは、PPからKまでの間に数日間から数ヶ月(←数ヶ月を上回る闘病生活に入る場合は定義上NNKにならざるをえない)の猶予がある。具体的には、癌による余命宣告、重篤な病の突然の発症などが考えられる。このように、近い将来にKが必至であると分かった時にあたふたしないためには、やはりPPのうちにちゃんとした準備をしておく必要がある。この点で大いに役立ちそうなのは、自分が生物の一個体であるという覚悟、ほかに、仏教の死生観、日本古来の武士道精神なども参考になりそうだ。 不定期ながら次回に続く。 |