じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ベランダのグロリオサが開花。鉢に植えっぱなしにしているが毎年鶴を伸ばし、この時期に開花。昨年の写真【但し夜に撮影】はこちら



2024年6月30日(日)




【小さな話題】お墓と葬儀について思うこと(2)

 昨日に続いて、6月27日(木)に再放送された【初回放送は2023年11月9日】、所さん!事件ですよ

納骨堂が経営破綻!?人気の“お墓”に思わぬ落とし穴

のメモと感想。これに関連して、私自身の死生観や葬儀についての希望を記す。

 放送では、納骨堂をめぐるトラブルについて、その背景や専門家からのコメントが紹介された。
 背景の1つは、地方の実家のお墓を維持するのが大変になり、自分の住まいの近くに遺骨を移す人が増えているという点が挙げられた。じっさい、全国の改葬件数は2010年頃は7万件前後であったが、その後右肩上がりに増加し、2018年以降は毎年12万件前後になっているという【出典は厚労省】。
 葬送コンサルタントで社会福祉士の吉川美津子さんは、大型や自動搬送式の納骨堂は億単位の投資が必要になると指摘した。その資金の回転がうまくできずに破綻してしまうケースが多いと指摘された。【昨日も感想を述べたが、とにかく初期投資にお金をかけて豪華な納骨堂を作り契約者から多額の資金を集め、それ以降の管理維持費が赤字にならないうちにさっさと姿をくらますという悪質業者も少なくないように思う。こうした納骨堂を適切に運用するには、マンションと同じような管理組合を作り、毎月修繕積立金を集めるといった制度化が求められるように思う】。
 宗教学者で僧侶の釈徹宗さんは、【伝統的な墓地などの】お墓を維持するにはある程度の規模の共同体が必要であるが、今の家族形態は少人数で営まれるようになり、しかも生まれた所で生涯を送る人はちょっとしかおらずく、進学・就職・結婚などで生活の拠点を移す中で“動かないお墓”はやっかいな存在であると指摘された。お笑い芸人で納棺師のおくりびと青木は、近年の葬儀の変化として、お通夜を省いて告別式だけを行う一日葬や、火葬のみで進める直葬を紹介した。

 放送では続いて、オランダのユニークな埋葬形式が紹介された。
 オランダでは墓石がない墓地が人気を集めている。棺はエコな素材で作られており、人気なのはキノコの菌糸体で作られた棺で遺体を自然に還らせることを目的としている。国土が日本の1/9しかなく、また長らく土葬が一般的だったため墓地不足が深刻化しており、政府は1991年に墓地を永久に使用できる権利が廃止した。墓地を永久に使用したい人は年間3万円ほどのレンタル料を支払うのが一般的。契約期間が終われば、お墓は遺体ごと掘り返され、次の利用者に明け渡される。このため、掘り起こされる心配のない“墓石のない墓地”が人気となっている。ちなみに、遺体が骨になるまで土葬であれば10年かかるが、キノコの棺であればわずか3年ですむ。
 吉川美津子さんによれば、『第14回お墓の消費者全国実態調査(2023年鎌倉新書』の集計によるお墓の比率は、一般墓が19.1%、樹木葬が51.8%、納骨堂が20.2%、その他が8.9%となっていて樹木葬を選んだ人が半数を超えていた。
 釈徹宗さんによれば、日本は99.9%が火葬で世界一火葬する国。本当は火葬は灰になるまで焼くのだが、日本では骨を残して埋葬するという点で火葬と土葬が合わせ技となった独特の方式。

 放送では、このほかアメリカで人気となっているアルカリ加水分解葬が紹介された。アルカリ性の液体で満たされた専用の機械に遺体を入れて加熱すると、骨以外はすべて溶けてしまう。火葬よりも環境への負担が少ないとして注目されているという。

 番組の終わりのところでは、京都府南丹市の集落のお寺で行われている合祀墓が紹介された。集落の共同墓地には長年放置され管理されていないお墓が多くあったが、それを墓じまいして合祀墓を作った。集落の少子高齢化が進めば合祀墓も管理する人がいなくなってしまう可能性があるため、インターネットで情報を発信するなどし、集落以外の一般の方にも合祀墓を開放するという方策を取ったところ、問い合わせが殺到し、結果として地域の活性化にもつながりつつあるという。

 ここからは私の感想・考察になるが、昨日も述べたように私は人は死ねばただの物体になると考えており、どのように扱われたとしても構わないと思っている。肉体を活かすのであれば動物園のライオンのエサにしてもらうのが最善かと思うがいくら肉食動物でも人の死体ばかり食べようとはしないだろう。次に役立ちそうなのは献体であり、これはもう少し経ったら検討しようかと思っている。
 もう1つ、より積極的な貢献としては臓器移植があるが、日本人男性の平均健康寿命まであと1年半となり、健康診断でもいくつかの異常値が出ている私のような高齢臓器が果たして役にたつものかどうかは分からない。あと、まだまだ脳死判定基準が正確に行われるかどうか不信感を拭いきれないところがある。

 樹木葬は魅力的だが、昨日も述べたように我が家ではすでに富士霊園にお墓があるので、わざわざ自分だけ奇を衒うようなことはしたくない。
 また葬式は全くの無駄遣いであり、参列者を時間的に束縛して迷惑をかけることになると思っている。なので病院の霊安室から火葬場に直行、世間には「故人の希望により簡素な家族葬だけ行った」ということにしてもらいたいと思う。
 あと、我が家の墓誌には代々戒名が刻まれているが、そもそも私は無宗教であり特定の宗派に属するような戒名をつけてほしいとは思っていない。墓碑には私の行だけ、本名のみ【←無宗教なので「俗名」と呼ぶのは不適切】を刻んでもらうように伝えておこうと思う。

 なお昨日も述べたが、私は死後の世界などは一度も考えたことがないが、生きている時に何らかの架空の世界を構築し、それにより日常世界を豊かにできる可能性はあると思っている。例えば毎朝欠かさず神社にお参りして世界平和を祈願するということは、客観的に見れば現実の世界平和実現には何1つ貢献していないが、当人がそれを意味のあることだと信じて実践することは、その人の日常の生活を豊かにしている可能性がある。宗教世界と接続した日常生活を送ることは、実数空間を複素数空間に拡張するようなものであり、適切な範囲にとどまっている限りは有用であるかもしれない。しかしどのように拡張したとしても、現実世界における物理現象や確率の大きさを変えることはできない。

 元の話題に戻るが、そもそもお墓というのは死者のためではなく、残された人たちに安らぎを与えるためにある。霊魂の存在が信じられていた時代には、手厚く弔わないと災いがおこるという「嫌子出現阻止の随伴性」で強化されていたが、これも残された人たち自身の安全のためであった。それはそれとして、大切な人を失った喪失感から立ち直るためには、死者との架空の対話が有用な場合もあり、それがお墓とか遺影とか遺品という形で大切にされてきた。これもまた人それぞれであり、大切な人の死を事実として受け入れてきれいさっぱり新しい道を進むのがよいのか、それとも故人との思い出にふけりながら日々架空の対話を続けながら生きるほうがよいのか、何とも言えないところがある。