じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2月28日に撮影した木星型の夕日。細長い雲が水平に浮かんでいたため、縞模様のある木星のように見えた。

2025年03月2日(日)




【連載】最近視聴したYouTube動画(11)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(9)あの世を想定しない宗教

 3月1日に続いて、宗教について岡田斗司夫さんの動画をネタにした考察。

 さて、前回までのところでは、「死後の世界」、あるいは「天国」、「極楽浄土」といった、現実世界とは別のところに拡張された世界について考察した。これは数学に喩えれば、「実数空間(=現実世界)」に、「虚数空間(=死後の世界)」を想定するようなものである。私の発想は、

●死後の世界があるかないかというのは経験科学で証明されるようなものではない。死後の世界を想定しても現実世界との間に矛盾が生じず、かつそのような世界に拡張することに有用性があるならば否定する必要はない。私自身は今のところ、死後の世界の有用性を認めていないが、終末期を迎えた人や死別した人を想う時には有用かもしれないと考えている。

というものであった。

 ここで1つ補足させていただくが、宗教は必ずしも別世界を想定しているわけではない。アニミズムは、

生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。

と定義されているが、この場合の「生物・無機物」とは現実世界の存在であって「あの世」ではない。つまり、現実世界は人間と霊魂が共存しているというような考え方になる。日本の神道も、山や岩、滝や巨木などをご神体としている点で少なくとも部分的にはアニミズムを引き継いでいるように思う【神道についての岡田斗司夫さんの考えはこちらにある。後日改めて取り上げる予定】。

 現実世界と死後の世界は実数空間と虚数空間に喩えられると述べたが、アニミズムにおける霊魂、さらには幽霊、妖怪、妖精、などは、いずれも現実世界に現れると想定されており、人間と同じ実数空間に共存し、時折現れると信じられている。そういう意味では、実数空間における有理数(=人間)と無理数(=霊魂)に喩えることができるかもしれない。
 もっとも、虚数がそれを想定しなくても日常生活の計算で困ることはないのに対して【複雑な物理現象の説明は別】、無理数はそれ無しで済ますことはできない。ヒッパソスの逸話で知られているように、例えば長さ1の辺で直角を挟むような直角二等辺三角形を考えた時、無理数を想定しないと斜辺の長さ(√2)を表すことができない。
 無理数はまた、有理数と同じ場所に存在しているように見える。例えば円周率のπは、有理数3.14と3.15の間に、有理数と同じように存在しているように見える【←抽象化された世界なので実在ではないが】。

 無理数の有用性に比べると霊魂、幽霊、妖怪、妖精などの存在はかなり危うい。これらもまた、存在証明ではなく有用性という観点から議論されるべきだと思っているが、現実世界の諸現象は、これらを取り入れても排除しても予測の精度は変わらないし、より確実なコントロールができるようになるわけではない。つまり冗長になるだけなのでオッカムの剃刀で削ぎ落とされてしまうのである。

 素粒子の理論になると、ゲージ粒子、ヒッグス粒子、物質粒子、超対称粒子というように、じっさいには目に見えず、「そういうものを想定すると物理現象がうまく、簡潔に説明できる」という理由から議論されているだけのようにも見える。但しそれらの粒子は理論上での役割が明記されており、実験で検証可能なレールに載せられている。いっぽう古来からの霊魂その他は、現実世界での役割が不明確であり検証も不可能、けっきょく物事が起こったあとでのこじつけに終わってしまう。

 ま、そうは言っても、無病息災を祈る神事のために村人たちが力を合わせて準備をすることは、神事自体は何も効果をもたらさないとしても村人たちの交流・団結の機会としては有用であるし、狩猟民族が神との約束に基づいて獲物の数や種類を調整することは結果としてその土地の資源保護に有用であると言うことはできる。アニミズムをすっかり否定してしまい、自然の秩序を無視して自分たちだけの利益を追求していけば最後は地球環境の崩壊、人類滅亡ということになる。これまでのところで何度も「有用性」という言葉を使ってきたが、「なんのために有用なのか」という目的部分もしっかり議論しておく必要がありそうだ。

 次回に続く。