じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ウォーキングコース沿いの『前払い、一日貸し』の駐車場。岡大周辺に複数箇所あり、1日300円〜500円程度で利用することができる。
 駐車場というと、出入口付近にゲートがあって料金を後払いするか、もしくは個別にロック板(フラップ板)があってお金を払うと解除されるか、という2方式が思い浮かぶが、写真のような駐車場はゲートもロック板も存在せず、どうやって不正利用対策をとっているのか疑問に思っていた。こちらなどの情報によれば、巡回スタッフが定期的に駐車場を巡回することで不正駐車を抑制することができるとのことであった。
 不正利用といっても1回限りと常習があると思われるが、ナンバープレートをしっかり撮影しナンバーを機械的に読み取っておけば常習はすぐに判明する。常習者が登場した直後に直ちにかけつければ刑事告発もできるはずだ。また1回限りであっても全国の業者が連携してブラックリストを作っておけば、全国どこで駐めても過去の不正利用について料金を請求できるはず。ま、1日300円〜500円程度の料金をわざわざ踏み倒そうとする人はそんなにおるまいとは思うが。

 あと「一日貸し」と「時間貸し」にはそれぞれのメリット、デメリットがある。少し前に某家族が利用した時には、
  • 到着1日目は夕刻から翌朝までは時間貸し
    →一日貸しでは2日分の料金をとられてしまうため
  • 数日間の滞在中は一日貸し
    →何度も出入りするため
というように対応した。

2025年03月10日(月)




【連載】最近視聴したYouTube動画(18)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(17)キリスト教(1)

 昨日に続いて、宗教について岡田斗司夫さんの動画をネタにした考察。今回からはキリスト教についての話題。

 まず私自身のキリスト教とのかかわりは、結論から先に言えば殆どゼロであった。海外旅行先で教会を見学する機会は結構あるが、あくまで建築物や壁画等の観賞が目的であって、スピリチュアルな体験はこれっぽちも無かった。
  1. 中学生の頃、新約聖書を薦められたことがあったが、最初のページに「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。...エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。」というような固有名詞の羅列があり、こんなことを知って何になるのかと1ページ目だけで読むのを放棄してしまった。
  2. 大学院の入試では心理学を含む哲学科共通の英語問題があり、いくら専門科目や卒論が優秀でも英語で60点以上を取らないと合格にならないと聞いていたので、卒論提出から入試までの1ヶ月あまりは毎日11〜12時間ほど哲学英語の勉強をした。その中には中世のキリスト教哲学も含まれていたが、もともと中世には興味が無く、また入試で合格するための手段として勉強していたので、その後はすっかり忘れてしまった。しかし、いま考えてみると、心理学には全く役に立たない哲学英語で合否判断されるというのはどうだかなあと思う。なお直近の募集要項では心理学は『行動文化学専攻』となっていて哲学系とは別の専攻に分離しているため、いくらなんでもキリスト教哲学の英語は出題されないはずだ。
  3. 1982年1月にイスラエルのツアーに参加したことがあった。参加者の多くは、キリスト教の信者の方たち(カトリック、プロテスタント半々?)で、それぞれの遺跡等で、現地ガイドさんが聖書に基づいて説明されているのを熱心に聞いておられたが、私の参加動機は、単に死海で浮かんで見たいということと、旅行代金が25万8000円(手数料やOPを入れても29万円)と割安であったことにあり、特にスピリチュアルな体験をすることは無かった。
  4. 大学院修了後、全国のいろいろな大学の採用人事に応募したが、そのさいキリスト教系の大学が複数あり、採用条件として「キリスト者に限る」と記されているものがあった。背に腹はかえられないのでいっそのこと洗礼を受けて応募しようかと思ったこともあった【←仏教系の大学の公募があった時には頭を剃って坊さんになろうかと思ったこともあった】。
  5. 私たちの結婚式は神式であったが、子どもたちの結婚式はいずれもキリスト教式。といっても形の上だけの話であり、特に抵抗を感じることはなかった。
 ということで、いまさらキリスト教について知識を増やしても終活に役立つとは思えないのだが、他の宗教、仏教や神道を理解するためにも、キリスト教の最低限の特徴を知っておくことには意義があると思う【といって、ちゃんとした解説書ではなく、岡田斗司夫さんの放言を拝聴するだけでキリスト教が理解できるかどうかは定かではないが】。




 前置きが長くなってしまったが、まずは、岡田さんの

岡田斗司夫が神の存在を信じない理由がこちらです「この世の宗教とは全て”アテにならない攻略情報”なんですよ」【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】

という動画の中からキリスト教に関するご発言を引用させていただく【要約・改変あり】。
  1. 神は存在するけど、輪廻転生なんか存在しない。
  2. 宗教イベントで、曹洞宗のお坊さんと、キリスト教・プロテスタント・カルヴァン派の牧師と同席した。仏教は熱心な信者であるほどお経をちゃんと読んでいない。キリスト教では熱心な信者であればあるほど、聖書にポストイットを貼りまくっている。で、ここにはこんなことが書いてあるというように、聖書を一生懸命勉強して、悩みがある時にもそれに関連した言葉を聖書の中から発見する。その瞬間にそれは聖書に書いてある言葉じゃなくて、神が私個人のこの2012年10月8日の私に向かって、この悩みに向かって、大昔言ってくれたものが私の心の中に飛び込んできたと感じる。この確信が神を信じることだっていうのが何となく分かった。
  3. キリスト教の神っていうものとか聖書とかいうものが大事なのは、「信じなきゃいけないものだからこれを信じろ」ではなく、それが私のプライベートな特定の物事に対して絶対に神様が私だけに届けるように【聖書を】書いてくれたんだ。だから私の心にこんなに響くんだ! それは僕らがアニメのセリフの中に心に響く言葉があるのと同じ現象で、そういう心に響く現象が来た時にエヴァを好きになったりキリスト教を信じたり神を信じたりする。
  4. つまり必ずキリスト教というのは、その中心核には理解しきれないものを理解しなければいけない勉強っていう風な路線が強くある。
  5. それに対して仏教っていうのは、熱心な仏教徒であればあるほど、朝昼晩とお経を唱える。そのお経の意味を考えたりお経の内容を理解しようというのはいい仏教徒ではない。それは僧侶や修業者や禅僧がやることであって、いい信者っていうのはどんな意味なんだろうと悩むことではなくて、とにかく毎日毎日座ってお経を唱えること。でもキリスト教徒にしてみたらそれは「churchgoer」と言われて、ただ単に教会に行って祈っているだけのやつで、信者は信者なんだけれどもキリスト教の真髄を理解しようとしていない。
  6. でも仏教徒っていうのは、そういうような形をちゃんと整えて、数珠をちゃんと買って、真面目に正座して、5分より10分、10分より15分、1日に2回より3回、3回よりも4回と祈っている人の方が正しい仏教徒だ、この認識の差が面白かった。
 そのあと、2次元は裏切らないという話題となり、「2次元が裏切らないなら神様は0次元でもっと裏切らないだろと発言されていたが、言いたいことはある程度分かったものの、もともとアニメを殆ど視ていない私としては特に実感は無かった。

 上掲の岡田さんのご発言は、たまたま同席した仏教徒とキリスト教信者との対話の中から得られたものであり、それぞれの宗教全般に一般化できるのかどうかは勉強不足の私にはよく分からない。但し、仏教が自らの修業や体験を重視するのに対して、キリスト教は聖書に依拠した日常生活の実践を重視しているらしいことは私でも理解できる。

 余談だが、日本の『熊野古道』や『四国遍路』に似た巡礼として『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』というのがあり、2015年には押印帳を1つにまとめた「共通巡礼手帳」が作成されたという。またこれとは全く別だが、ポタラ宮廻りカイラス山巡礼というのもある。キリスト教の巡礼と仏教系の巡礼でどこが根本的に違うのか、あるいは本質的には同じなのか、興味深いところがある。

 次回に続く。