じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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半田山植物園では少なくとも3色のユキワリソウが咲いているが、このうち青紫色の花をデジカメで撮影するとなぜか赤紫色になってしまうことに気づいた。写真上は単にシャッターを押して撮影しただけの花。写真下は私の肉眼で見える色に補正したもの。 もっとも個々人の色の見え方には個体差があり【こちらやこちらの動画参照】、もしかすると青紫色に見えているのは私だけかもしれない。だんだん自信が無くなってきた。 |
【連載】最近視聴したYouTube動画(19)岡田斗司夫さんの動画をもとに宗教について考察する(18)キリスト教(2)ドラえもんの喩え 昨日に続いて、宗教について岡田斗司夫さんの動画をネタにした考察。今回からはキリスト教についての話題。引き続き、岡田さんの動画から関連するご発言を引用させていただく。まずは、 ●キリスト教徒は神の存在を信じているわけではない?【キリスト教】と【ユダヤ教】の違いをドラえもんに喩えて説明します《岡田斗司夫ゼミ・切り抜き》 を引用させていただく【要約・改変あり】。まず岡田さん流のキリスト教の定義は、
キリスト教の懺悔というものがホンマに信仰心の不足に対して行われるものなのか、それとも岡田さんが身近なキリスト者と接するなかで体験的に特徴づけたものなのか、動画だけでは何とも言えない。 「懺悔」に関して私自身がたまに見かけるのは民家の壁や塀に貼られた「神への態度を悔い改めよ」といった看板であるが、率直なところこの種の看板を見ると「余計なお節介だ。お前だけ悔い改めてさっさと消えてしまえ!」と腹がたつばかりで、宣伝としては全く逆効果であるように思う。なおこの団体は布教活動をしているが宗教法人ではないという。 ま、こうした奇怪な布教活動は別として、そもそも真っ当な生活をしている一般市民に対して、威丈高に「悔い改めよ」などと叫ぶのは失礼ではないかと思う。 上掲の動画では続いて、ドラえもんに喩えて、キリスト教とユダヤ教の違いが説明された【要約・改変あり】。
キリスト教とユダヤ教は、どちらも一神教ですが、それぞれの教義にはいくつかの根本的な違いがあります。以下に主要な違いを示します。ということで岡田さんのジャイアンとスネ夫の喩えに相当するような回答には至らなかった。ちなみに、私自身の老後観である、 ●なるようにしかならない。されどそれなりにやれることはやる。 というのはユダヤ教に近い考え方かもしれない【但し「それなりに」なので、無理をして朝から晩までの生活を律しているわけではない】。 あと、上掲のジャイアンとスネ夫の喩えだが、土曜日の夕食時にたまに視るドラえもんのアニメでは、ジャイアンは理不尽に暴力をふるうガキ大将ではなく、こちらに記されているように、 ●同級生に暴行したり漫画・オモチャなどを奪ったりするなど、乱暴な性格の持ち主であり、作中ではのび太やその周囲の子供たちへのいじめが多い。その反面、他人想いで義理固く涙もろい一面もある。通常回では前者、劇場版では後者の性格が強調されることが多い。 という設定になっている。また原作が登場した頃に比べると、現代では暴力的なイジメに対して批判・監視の目が向けられるようになっており、かつ教育的な観点からは、暴力的なイジメに対してはドラえもんの道具を使って仕返しするのではなく、みんなの話し合いの中で解決していくということが推奨されていることから、この先も上述のような暴力・怒り・理不尽さを備えたジャイアン像が維持できるのかどうかは疑問に思うところがある【←静香ちゃんの女性像も同様】。 次回に続く。 |