【小さな話題】英雄たちの選択(1)岡崎勝男、大森房吉&今村明恒、与謝野晶子
最近視聴したNHK-BS:
●英雄たちの選択 日本の運命を決めた「選択」に迫る!
についてのメモと感想。但しいずれも録画・再生で視ているため初回放送日が相当古いものも含まれている。
- 【2024年8月14日初回放送、2025年2月24日再放送】昭和の選択 敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機
私自身が中学の頃に習った戦後史は「ポツダム宣言受諾→サンフランシスコ講和条約」というシンプルなものであったが、じつは三布告の撤回をめぐって並々ならぬ努力があった。三布告とは、
- 布告第一号:立法・行政・司法の三権は、いずれもマッカーサーの権力の管理下に置かれ、管理制限が解かれるまでの間は、日本国の公用語を英語とする。
- 布告第二号:日本の司法権はGHQに属し、降伏文書条項およびGHQからの布告および指令に反した者は軍事裁判にかけられ、死刑またはその他の罪に処せられる。
- 布告第三号:日本円を廃し、B円と呼ばれる軍票を日本国の法定通貨とする。
というものでこれが実施されれば日本は直接軍政下に置かれてしまうところであった。
この撤回交渉で尽力したのが岡崎勝男であり、放送を視た限りでは歴史教科書でもっと評価されても良かったのではないかと思われた。
もっともリンク先を見ると、岡崎は政界進出後に選挙違反容疑(不起訴処分)、さらに吉田対米協調路線の忠実な代弁者としてあまりにも熱心すぎたこともあり吉田退陣後の選挙では落選し政界を引退したという。
- 【2024年12月5日初回放送】隠された南海トラフ地震 〜学者・今村明恒の挑戦〜
大地震の予知は今でも難しいが、予知と結果については論理的には4通りになる。
- 「大地震が起きる」と警告し、じっさいに起こってしまった。
- 「大地震が起きる」と警告したが、じっさいには起こらなかった。
- 何も警告しなかったが大地震が起こってしまった。
- 何も警告せず、【数十年以内に限れば】大地震は起こらなかった。
このうち1.と4.のケースでは地震学者は称賛されるが【←但し1.では警告のタイミングが悪ければ批判される】、2.のケースでは「ほらふき」呼ばわりされてしまう。3.は「地震学者は何をしていたんだ」と批判を浴びる。4.のケースは安泰だが、地震国日本ではありえない。
ウィキペディアに記されているように今村明恒の行動は以下のように評価された。
震災予防調査会のまとめた過去の地震の記録(歴史地震)から、関東地方では周期的に大地震が起こるものと予想。1905年(明治38年)に、今後50年以内に東京での大地震が発生することを警告し、震災対策を迫る記事「市街地に於る地震の生命及財産に對する損害を輕減する簡法」を雑誌『太陽』に寄稿した。この記事は新聞にセンセーショナルに取り上げられて社会問題になってしまった。そして上司であった大森房吉らから世情を動揺させる浮説として攻撃され、「ホラ吹きの今村」と中傷された(大森・今村論争)。
しかし1923年(大正12年)9月1日に関東大震災(関東地震)が発生し、明恒の警告が現実のものとなった。その後、関東大震災の地震を予知した研究者として「地震の神様」と讃えられるようになった。
いっぽう今村の主張を浮説として批判した上司の大森房吉は大森式地震計や、初期微動継続時間から震源までの距離を決定できることを示す(震源距離の)大森公式を発表するなど、ノーベル賞級の研究成果を上げていたが、1923年の関東大震災発生時にはオーストラリアに出張中であり、滞在中に脳腫瘍の病状が悪化し帰国後に亡くなった。
なお東日本大震災の教訓から、現在では大地震の予知は困難、それよりも「いつ大地震が起こっても被害を最小限にとどめる」という対策にシフトしていると聞いている。
- 【2024年8月28日初回放送】我は女の味方ならず 〜情熱の歌人・与謝野晶子の“男女平等”〜
歌人としての与謝野晶子のことはある程度存じ上げていたが、評論家としての活躍や独自の男女平等論についてはこれまで知る機会が無かった。
特に女性解放運動家の平塚らいてうとの母性保護論争は興味深い。
なお、主な論客の生年・没年は以下の通り。
- 与謝野晶子:1878-1942
- 平塚らいてう:1886-1971
- 山川菊栄:1890-1980
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