【小さな話題】英雄たちの選択(2)平賀源内、滝沢馬琴/「日本のレオナルド・ダビンチ」と「日本のシェイクスピア」
昨日に続いて、最近視聴したNHK-BS:
●英雄たちの選択 日本の運命を決めた「選択」に迫る!
についてのメモと感想。いずれも録画・再生で視ているため初回放送日が相当古いものも含まれている。
- 【2024年2月6日初回放送】江戸を駆けたマルチクリエーター 平賀源内
平賀源内(1728-1780)の名前は知っていたが、何をした人なのかについては、エレキテルと土用の丑の日【←但し根拠不明】くらいしか浮かばない。ウィキペディアでは源内は
●本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。
と記されて、これまた何をした人なのか分からない。
放送では本草学者、博覧会プロデューサー、蘭画家、コピーライター、戯作者などの活躍が紹介されていたが、すべてがうまくいったわけではなかった。1766年、埼玉県秩父市中津川で鉱山開発に乗り出したが8年かけても鉱脈は見つからず2億円とも言われる借金を抱えてしまった。その後精神が不安定となって1779年に殺傷事件を起こして投獄され、52歳で獄死した。
なお、番組のテーマである「選択」に関しては、
- 「高松藩に再び仕官する」
- 「仕官せず浪人のままでいる」
が取り上げられた。じっさいにはAを選び『根南志具佐(ねなしぐさ)』の作家としてデビューした。
- 【2025年1月9日初回放送】筆一本で乗り越えろ!作家・滝沢馬琴の奮闘
滝沢馬琴(曲亭馬琴、1767-1848)は『南総里見八犬伝』の作者として知られるが、その生涯は苦難の連続であった。放送の冒頭でも、
- 父親が急死。さらに母、兄、一人息子が次々と亡くなり滝沢家は存続の危機に。
- 作家を志すがヒット作が書けない。
- 晩年には失明し、口述筆記で大作を完成させた。
などが挙げられていた。
このうち2.に関しては、馬琴は24歳の時に山東京伝に弟子入りを請うたところ「物書きは別に職業を持つ者が慰みにやる職業、弟子をとって教えるというようなものではない」として断られたが、その後親しく出入りが許された。1791年処女作『尽用而二分狂言(つかいはたしてにぶきょうげん)』を刊行したが、笑いや洒落がなく売れ行きは期待外れだった。その後1972年に蔦屋重三郎に見込まれて武士としての身分を捨てた。蔦屋重三郎から縁談を持ちかけられたが「茶屋のあるじは遊女の上前をはねる盗人同然」として断る。しかし、その直後3つ年上の百(おひゃく)と結婚。作家に専念できる環境が整った。
旅の途中、遠州・夜泣石の伝説を知ったことから『小夜中山宵啼碑(さよのなかやまよなきのいしぶみ)』を書き上げた。この作品をきっかけに馬琴は「聖なる特別な存在」という主人公の型を創り上げたという。このモチーフはその後の作品でもたびたび描かれている。
- 『南総里見八犬伝』は馬琴の膨大な読書量に支えられあるべき人の道を著したものであるが、痛快な活劇や妖怪変化など波瀾万丈なストーリーが読者の心をつかんだ。
- 1835年、家督を継いでいた息子・宗伯が38歳で死去、滝沢家は当主不在で武士の待遇を失ってしまった。孫の太郎はまだ9歳であり、馬琴は8000冊もの蔵書を売り払ったり足りない分は借金までして、130両(650万円)で「御家人株」を購入して滝沢家を守った。
- しかし過酷な執筆生活がたたって、67歳で右目、75歳には両眼を失明した。八犬伝の大団円は亡くなった息子の嫁のお路(おみち)の口述筆記により執筆され1842年についに完結。
以上が放送の概要であったが、実は私は、『八犬伝』を一行も読んだことがない。元来、読書を好まない性分であることに加えて、登場人物が多い作品では名前や顔を覚えきれなくなる(というか、覚えるのが煩わしくなる)。
『八犬伝』と言えばNHKの人形劇『新八犬伝』が知られており、ウィキペディアによると、
●近未来SFの前々作『空中都市008』、人形劇コメディの前作『ネコジャラ市の11人』の相次ぐ不振を受け、時代劇という新ジャンルを導入することで、NHKテレビ人形劇の立て直しを図った作品。15分番組(週5日放送)でありながら、平均視聴率20%を記録した番組となった。アクション要素を加味した大胆な脚色や、辻村ジュサブローによる人形美術が人気を博した。
という人気番組であったが、放送期間が1973年4月2日-1975年3月28日というのは私の学部学生時代(1971-1975)と重なっていて当時は下宿にテレビを置くほどのお金はなく、そもそも視る機会が無かった。
最近では、『らんまん』のヒロイン槙野寿恵子(浜辺美波)が「南総里見八犬伝」全巻を宝物として愛読しており、筆者である馬琴を崇敬しているという設定になっていることで改めて『八犬伝』の魅力を伝え聞いたが、だからといって読んでみたいという気持ちにはならない。
なお、『八犬伝』をタダで読む方法としては、テキストだけであれば、
●南総里見八犬伝 オリジナル版
が便利のようだ。挿絵付きでは、
●国立国会図書館デジタルコレクション
があるようだが、全部が読めるかどうかは不明。
ということで、今回取り上げた平賀源内は日本のレオナルド・ダビンチ、滝沢馬琴は日本のシェイクスピアに称えられるような印象がある。念のためCopilotに
●「日本のレオナルド・ダビンチ」、「日本のシェイクスピア」としてどのような人物が挙げられますか?
と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
面白い質問ですね!「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」や「日本のシェイクスピア」と呼ぶべき人物は、その時代や分野によって異なるかもしれませんが、いくつかの候補を挙げてみます。
- ### 日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチは、科学、芸術、解剖学、工学といった多岐にわたる分野で活躍したルネサンス期の天才です。その多才さにおいて、日本には次のような人物が例えられるかもしれません。
- **平賀源内(ひらが げんない)**: 江戸時代の発明家、蘭学者、画家、そして作家としても知られ、非常に多才でした。彼の発明にはエレキテル(静電気発生装置)や火浣布などがあり、学問や芸術の幅広い分野での功績が評価されています。
- **葛飾北斎(かつしか ほくさい)**: 画家として有名ですが、彼の作品は科学的観察や技術的工夫が伺える点で多面的な才能を感じさせます。
- ### 日本のシェイクスピア
ウィリアム・シェイクスピアは、人間ドラマや感情の普遍性を描いた劇作家であり詩人です。日本には以下のような人物がシェイクスピアに喩えられるでしょう。
- **近松門左衛門(ちかまつ もんざえもん)**: 江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の脚本家で、人間の感情やドラマを繊細かつ深く描き出しました。「曽根崎心中」などの作品は人々の心を揺さぶる内容で、シェイクスピアのように普遍的なテーマを扱っています。
- **森鴎外(もり おうがい)**: 明治から大正期の作家であり、戯曲も執筆しました。彼の文学的影響力や社会的テーマの取り扱いは、シェイクスピアと比較されることもあります。
他にも多くの例がありますが、これらの人物が文化や知識の融合を通じて後世に大きな影響を与えた点で、該当するかもしれませんね!もし、特定の分野に関する人物像をさらに掘り下げたい場合、お知らせください。
ということで「平賀源内=日本のレオナルド・ダビンチ」は予想通りであったが、滝沢馬琴の名前は挙げられていなかった。そこでさらに質問を重ねたとこと、以下のような回答をいただいた。
滝沢馬琴(曲亭馬琴)は確かに「日本のシェイクスピア」として考えることもできますね!彼は江戸時代後期の偉大な作家であり、その代表作『南総里見八犬伝』は、日本文学の金字塔とされています。
### なぜ滝沢馬琴が「日本のシェイクスピア」と言えるのか?
- **壮大な物語の構築**: シェイクスピアが人間の感情や運命を壮大な劇で描いたように、馬琴も複雑で長大な物語を構築しました。『八犬伝』は全98巻におよび、人間の情熱や信念、葛藤を丹念に描写しています。
- **普遍的なテーマ**: 馬琴の作品は義理、忠誠、仁義といった普遍的なテーマを扱っています。これらのテーマは時代を超えて人々に共感を呼び起こすものです。
- **文学への影響力**: シェイクスピアが英文学や世界文学に与えた影響のように、馬琴も日本文学の発展に大きく寄与しました。『八犬伝』のような長編物語は、その後の作家たちにとって大きなインスピレーションとなりました。
一方で、近松門左衛門が劇作家として舞台での表現に特化していたのに対し、滝沢馬琴は主に読本(文字を読む物語)で活躍した点で、シェイクスピアと異なる部分もあります。しかし、物語の奥深さやその普遍性を考えると、馬琴も「日本のシェイクスピア」の一人として認められるでしょう。
不定期ながら、次回に続く。
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