じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



03月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。




 3月8日にNHK-BSで初回放送された、

平出和也と中島健郎が挑んだ空白地帯

を録画再生で視聴した。カンチェンジュンガ、グレートヒマラヤトレイル、シスパーレなど、平出さんと中島さんが挑戦した山岳番組はほぼすべて視聴しているが、まさかその最終回がこういう形に終わるとは思ってもみなかった。

 風船おじさん栗城史多さんのような、【少なくとも私から見れば】無謀な冒険とは異なり、平出さんと中島さんの挑戦は、世界トップレベルの登山家により緻密に計画された「与えられた課題に対する最も安全な登山」であったはずなのだが、放送を視聴して、やっぱり止めておくべきではなかったか、最難関の登攀ではなくもっと別の目標を立ててもよかったのではないかと、悔やまれるところだ。
 ちなみに私自身は2023年のツブカル山登頂をもって本格的な登山は人生最後であると決めている。まだまだ多少は体力は残っており、テイデ山ガルフピッゲンバルトロ氷河からK2展望など、登りたい山々はいくつかあるのだが、72歳を超えたいま、途中で動けなくなれば迷惑をかけるし、エネルギーを使い果たすほどの苦労をしてまで歩きたいという意欲はもはや湧かない。
 写真は、ドバイから関空に向かう途中に眺めたカラコルム上空。平出さんたちが登ったシスパーレ(ピラミッド型の尖峰)のほかウルタール、レディフィンガーなどが見えている。人生をかけて挑戦されたお二人には申し訳ないが、私の軟弱かつ徹底的合理主義・プラグマティズムの人生観から言えば、飛行機に乗って山頂より遙かに高い空から山々を見渡せるのであればわざわざ命をかけて氷壁を登らなくても充分という気もする。

2025年03月27日(木)




【連載】英雄たちの選択(3)谷干城

 昨日に続いて、最近視聴したNHK-BS:

英雄たちの選択 日本の運命を決めた「選択」に迫る!

についてのメモと感想。いずれも録画・再生で視ているため初回放送日が相当古いものも含まれている。
  • 【2025年1月23日初回放送】熊本城、陥落せず!〜実録「西南戦争」最強・西郷軍との攻防〜

     西南戦争というと、圧倒的に兵力が勝る明治政府軍が西郷軍の反乱を鎮圧したというイメージがあったが、じっさいはそんなに簡単ではなかったということを放送を通じて初めて知った。熊本城を攻撃した時の西郷軍は屈強な兵士1万3000、これに対して熊本城を守る政府軍は3300。しかも充分に訓練されていない徴兵された兵士たちだった。もし熊本城が落ちてしまうと明治の近代化は10年遅れ、外国勢力につけいられていた恐れもあった。徴兵制を主体とした軍隊の近代化も遅れていたのではないかと指摘された。
     政府軍は司令官の谷干城のもと、兵糧攻め、水攻めにも耐えて援軍が来るまで52日間にわたって守り城を抜いた。放送では、@「出撃して局面打開」、A「籠城に徹する」という場面で谷干城が@を選択した経緯が取り上げられた。
     援軍が見えない状況での出撃はリスクが大きいと思われたが、谷は45日目の段階で「突囲攻撃」を決行。陽動作戦が効を奏し食料を奪取。52日目には援軍と合流し熊本城攻防戦は政府軍の勝利に終わった。
     放送ではその後の谷干城についても言及された。西南戦争後に谷は政治家に転身し、国民生活を重視する立場から内閣との対立も辞さなかった。
    • 足尾鉱毒事件では被害者救済に奔走。
    • 日露戦争では開戦に断固反対の立場を貫いた。
    • 日露戦争のあとも国際協調を唱えて無謀な対外戦争や領土拡張論を批判し続けた。
    • 1911年75歳で死去。

    なおウィキペディアにはかなり詳しい生涯が記されているが、晩年は同志の離反が相次ぎ影響力は低下したようである。



    不定期ながら、次回に続く。