じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
富士山。東海道・山陽新幹線の車窓からの眺めは単調そのものだが、唯一、三島〜富士川鉄橋あたりで見られる富士山だけは逃すわけにはいかない。 |
【思ったこと】 _00211(金)[日記]「即席評論家」としてのWeb日記作者の存在意義と節度(その1) 京都での小学生刺殺・容疑者自殺事件、新潟での少女長期監禁事件など衝撃的な事件が相次いで伝えられている。Web日記作者が「即席評論家」、「素人評論家」としてこれらを日記ネタにすることについて、まついさんやRANDOM ACTさん(該当部分はこちらにあります)がご意見を書かれていた。これを機会に私なりの意見をまとめてみたいと思う。 議論の経緯はこちら まず初めに、私が2/8の「日記読み日記」で Web日記作者なんて(私がマイニッキエンジンを通じて拝見している方以外のことは分からないけれど)殆どが即席評論家なんじゃないかな。私はその存在を肯定的に評価した上で日記読みを続けているんだけれど...と述べたことについてもう少し説明させていただく。言い訳めいてしまうが、この感想の中で「Web日記作者」と述べたのはあくまで、私がマイニッキエンジンを通じて拝見している日記の作者という意味。少なくとも私個人の基準において「被害者や遺族の尊厳を無視し」てゲーム感覚や(視聴率稼ぎの一部の)ワイドショー感覚で事件を取り上げるような日記はハナから相手にしていない。この点で、「即席評論家」として想定されているWeb日記の範囲にかなりの食い違いがあったように思う。それと、上記の、私はその存在を肯定的に評価した上でというくだりだが、これは「その内容を肯定的に評価」しているという意味では断じてない。存在を肯定することと内容を肯定することでは全然意味が違う。私の側に言葉足らずのところがあったことをお詫びしておきたい。 さて、以上をふまえた上で、次のような問題について考えてみる必要があるように思う。繰り返すが、被害者や遺族の心情を無視してゲーム感覚や(視聴率稼ぎの一部の)ワイドショー感覚で事件を取り上げるようなWeb日記は論外。ただし、どこまでがそれに該当するかという議論は必要であろうかと思っている。
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【ちょっと思ったこと】
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【スクラップブック】
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【今日の畑仕事】
旅行中につき立ち寄れず。 |