【思ったこと】 _00217(木)[教育]『受験勉強は子どもを救う』か(3)推薦入試は学力検査入試より素晴らしいか(前編)
2/4の日記の続き。今回は推薦入試についてとりあげてみたい。なお、この連載は、和田秀樹氏の『受験勉強は子どもを救う』(河出書房新社)に言及しながら受験勉強をとりまく諸問題を考察することを目的としているが、この前編では私なりの現状認識を述べるにとどめ、次回以降に和田氏の御主張に言及していくこととしたい。
推薦入試の制度は私が高校生の頃には始まっていたので、少なくとも30年以上の歴史があったと思う。この制度のメリットとして私が理解しているのは
- 受験戦争があまりにも激化すると、高校生たちは学校の勉強に身を入れず、放課後の塾通いに精を出すようになってしまう。これでは高校でちゃんと教育できない。推薦入試を望む高校生だったら素直に学校の勉強に精を出してくれる。
- 学力試験だけでは、協調性のある学生がとれない。大学側としても、いくら賢くても反社会的な行動に走るような者は入れたくない。多少学力が劣っても、高校の担任や校長が責任をもって保障してくれる学生を入学させたい。
- 一部の大学では、定員の数倍に及ぶような水増し合格者を決めても、別の大学に合格するとさっさと入学辞退されてしまう場合がある。滑り止めの結果として不本意ながら入学してくるような学生を受け入れるよりは、合格したら必ず入学手続をさせると高校が保証してくれる推薦入試のほうが大学にとって都合がよい。
Z会のオリジナルリサーチなどを見てもわかるように、大学の推薦入試は全国の多くの大学で取り入れられており、それなりの成果をあげているものと判断される。もっとも、メリットばかりがあるとは限らない。よく言われるデメリットとしては、
- 早めに合格が決まってしまうため、大学入学までのあいだに学力が著しく低下する。
- 高校側が必ずしも最優秀の生徒を推薦してくるとは限らない。高校側としてはとにかく一人でも多くの生徒を希望大学に入れることが至上命題となっているため、一般入試(学力検査入試)で十分に合格できる生徒をわざわざ推薦枠に投入することはしない。一般入試では合格が危うい生徒を救う手段として使われる恐れがある。また、高校間の格差があるため、内申書成績をそのまま信用するわけにはいかない。
- 大学側で行う面接試験が、本当に信頼性、妥当性のある判断を下しているのかどうか疑わしいところがある。外面的な印象だけで高く評価されてしまうことは無いのか。裏口入学の恐れは無いのか。
- 過去何十年もの歴史があるわりには、推薦入試で大学に入った学生が各界で活躍しているというような情報をあまり聞かない。一流の科学者、医師、弁護士、政治家などで推薦入試合格者の比率が有意に多いという情報はいっこうに伝わってこない。
このように長短両面をもち何十年もの歴史を有する推薦入試であるが、少なくとも私の周囲では、これを取り入れようとする動きが最近急速に高まってきたように思える。その理由として考えられるのは
- 平成11年12月16日の中教審答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」の中で、入学者受入方針(アドミッション・ポリシー)の明示、「公平」の概念の多元化といった提案がなされ、従来、学力検査や小論文試験だけで入学者を受け入れていた大学・学部の中にも、多様な選抜方法の1つとして、推薦入試を取り入れる動きが出てきた。
- 少子化によって受験生が大幅に減り、国立大といえども定員割れを起こす恐れが出てきた。多様な形で入学者を確保する手段として推薦入試も重視する必要がある。
- 独立行政法人化が取りざたされる中で、地元教育界との間に太いパイプを作っておく必要があること。地方の国立大学といえども全国に開かれた大学であることに代わりはないが、これからは地元の支持なしには存続しえない状況が出てきた。
といったところだろうか。しかしこうした議論の背景には、学力検査入試に対する固定観念、推薦入試に対する過度の期待が横たわっているようにも見受けられる。後編では、主として受験生の側から推薦入試制度をとらえた場合にどういう問題があるのか、和田氏の著書を引用しつつ、私なりの意見をまとめてみたいと思っている。
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