じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
18年前のドゥシャンベ(タジキスタン)の動物園。旧ソ連による思想統制はあったかもしれないが、少なくともあの頃は平和だった。 |
【思ったこと】 _10915(土)[教育]21世紀の大学教育(7)5教科7科目入試で学力低下は改善されるか?(後編)選抜試験か資格試験か/「基礎学力」ってなあに? 昨日の日記の日記でも記したように、「5教科7科目」提言は、 高校教育で目標としている基礎的な学力を国立大学入学者のすべての者に備えて欲しいと.....という趣旨で提案されたものであるという。そこからは、
同じ5教科7科目を課す場合でも、資格試験として実施するのか、選抜試験として実施するのかでは高校における学習の仕方は大きく変わってくる。
そもそも、大学入学者にとって真に必要な基礎学力とは何なのだろうか。この点でも新たな疑問が出てくる。
●いますぐには役立たないけれど、大人になった時には必ず役立つのよ。 などと、エエ加減なことを言う。しかし、 ●じゃあ、お父さんやお母さんは、何でこんな問題が解けないの。解けなくてもちゃんと生活できているじゃないの。 などと言われると返事に窮する。 専門分野に関連深い科目を除けば、高校で学んだことの大部分は、大学に入ってから半年ぐらいのあいだに、すっかり忘れてしまうものなのだ。 おそらく、子どもたちを説得できそうな答えとしては、 ●役に立つか役に立たないか知らないけれど、とにかく大学に合格するためには勉強するしかないのよ。大学入れないとイヤでしょ。だったら、勉強しておきなさい。何のために役立つのかは、大学に入ってからじっくり考えればいいのよ。 というようなことになる。 じっさい、センター試験の時にエラそうな監督をしている大学教員だって、果たして、自分の大学に合格できるだけの総合点をとれるかどうかは甚だ疑問である。私自身、英語と現代国語と数学と地学の一部を除けば、5教科7科目のどれをとっても、100点満点で20〜30点ぐらいしか取れないのではないかと思う。 いっそのこと、センター試験の問題を大学の評議員全員に解かせ、それぞれの最低点を入学資格とすればよいのではないかと思ってみたりする。 「将来役立たないことであっても、高校の段階で何らかの学問分野の高度な内容を教えておけば、基礎的な思考能力の養成に役立つのではないか」という考えもあるかもしれない。しかしこちらでも記したように、特定分野の能力を鍛えることは、思ったほどは汎用化できない。「ラテン語を学べば、普遍的学習能力が鍛えられる」などという説はとっくの昔に否定されているのである。また、仮に、特定分野での鍛錬が何らかの思考能力を養うとしても、どういう分野で学ぶのかはもっと多様であるべきだ。第二外国語はもとより、コンピュータ言語、さらには囲碁や将棋に至るまでもっといろんな分野で特技を磨けばよいと思う。すべての高校生に一律7科目を課す必要は必ずしもない。 いま普通高校で教育されている内容が21世紀の日本を背負う世代にとって本当に必要な分野を網羅しているのかどうかも見直していく必要があると思う。たとえば、心理学はなぜ高校で教えないのか、「環境学」のようなものは要らないのかなど.....。そういう根本的な検討を行わずに、何十年来ほとんど変わらない既存の教科や科目の枠組みの中だけで科目数をいじくっていても、21世紀を担う人材を育てることはできないのではないか。 |