じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
文学部西側の日だまりで、ツルニチニチソウが一輪だけ花を咲かせていた。よく見ると、この花の左下にはすでに花の散った跡がある。今年2番目の花ということになりそうだ。 |
【思ったこと】 _50123(日)[心理]「傾向がある」ことへの対策(その6)男女の比率の違い 1月18日の日記に引き続き、「傾向がある」ことと「著しい差がある」ことの違いについて考えていくことにしたい。 統計上は有意差があるが「著しい差がある」とは言えない事例として「出生時男女比」がある。日常生活レベルでは、男の子と女の子が生まれる確率は50%ずつであると考えられている。しかし、こちらの統計表を見ても分かるように平成16年9月1日時点の0歳から4歳の人口は男294万人、女279万人(日本人人口 は男292万人、女277万人)であって、男の子のほうが5万人ほど多く、その比率は男:女=105:100となっている。ちなみに、この数値自体は全数調査と同等であるので、「統計的に有意差がある」とは言わない。「男の子が多かった」という事実が残るのみである。もっとも、こういう調査が全く行われなかったとして、ある研究者が、全国10ヵ所の地点でそれぞれ100人ずつの子どもの男女比を調査したとする。その際に比率の検定を行えばおそらく、男女の比率差は有意であると結論できるに違いない。 男の子のほうが若干多く生まれるということには、どうやら生物的な原因があるらしい。その比率は国際的に言って、おおむね、女子100人に対して、男子103人から107人くらいであると言われている。しかし、この程度の差があるからといって、日常生活上、特段の配慮をする必要はない。「統計上有意差がある」からと言って、それだけで特別にコトを起こすべきだということにはならないのである。 しかし、この男女比も、人間が意図的に手を加えるようになると大問題になる場合がある。こちらやこちらのニュースが伝えているように、中国では、女の子100人に対して、男の子は119.9人、5つの省ではなんと130人を超えるようになったという。その背景には、一人っ子政策と社会保障整備の遅れがあるようだ。妊娠してからかなり早い時期に胎児の性別の判定ができるため、非合法に性別を鑑定し、女の子だとわかったとたんに人口妊娠中絶手術を行なうケースが続出していると言われている。このような例では、比率の差の大小にかかわらず、統計的検定によって人為的な手が加えられている可能性を発見し、適切に対処していく必要がある。 出生時男女比の微妙な差は、環境ホルモンや電磁波の影響を調べる手段としても有効である。どの程度根拠があるのか専門的なことは分からないが、ネット検索でヒットしたこちらの論文には
「出生時男女比」は、日常生活上は全く問題にならない程度のわずかな差にすぎないが、研究目的、研究に対する要請(ニーズ)が異なれば、重大な注目点となるのである。 余談だが、「出生時」ではなく「高齢者男女比」となると、日常生活上でもしっかりした対策が必要となってくる。この表で85歳以上の人口を見ると、男性77万人に対して女性は195万人と、約2.5倍女性のほうが多い。オーストラリアの痴呆症(認知症)高齢者施設を訪れた時も、女性が20人余りに対して男性が2〜3人しか居られなかったので妙に思ったが、男女の平均寿命の差を考えてみれば、このくらいの比率の差は当たり前であったことに後から気づいた。 |