じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
7月21日と7月23日の日記で、田んぼの傍らに咲く白い花の写真を掲載したが、雌花の出現によりやっと正体が判明した。見ての通り。
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【思ったこと】 _60727(木)[心理]卒論中間発表会(1)打算的結婚観?/世代間コミュニケーション/離脱理論 7月27日の13時から18時頃まで、前期末恒例の卒論中間発表会が開催された。レジメは一切配布せず、パワーポイント&ビデオプロジェクターのみで行われたため、記憶が薄れないうちに、いくつか思ったことをメモしておきたい。 まず、一番最初のほうで、昨今の晩婚化、非婚化現象を、結婚観(伝統的結婚観か現代的結婚観か)および自己効力感で説明しようというような仮説を立てている発表があった。結婚観の違いにも影響するが、要するに、家事、(新居での)近所づきあい、子育てなどについての自信が無いと結婚に踏み切れない人たちがいるかもしれない、というような発表であると理解した。 研究の進め方としては面白いと思ったが、うーむ、どうかなあ。私の素朴な考えを述べれば、結婚観なんていうのは、要するに、好きな人が居るかいないか、まず、そこが出発点となって決まってくるものではないかなあ。好きな人ができて愛情が深まっていけば、どんな困難を乗り越えてでも結婚したいと思うはずだ。結婚に至るプロセスでは、駆け落ちもあるし、時にはロミオとジュリエットの悲劇に終わるようなことだってある。これまでに身につけたスキルが活かせなくても、あるいは家業を捨ててでもとにかく一緒に暮らしたいと思った時が結婚する時であって、やれ家事に自信が無いとか、新居での生活に自信が無いなどとか思うのは、まだまだ愛情が足りないとしか言いようが無い。 もちろん、恋愛と結婚は異なるし、クリティカルシンキングの目で結婚相手を評価すれば「ジグゾーパズルの完成前の最後の一片がこの人だ」なんていうのが如何に思い込みにすぎないかということには容易に気づくだろうが、とにかく、結婚には、非合理的で、全人生を賭けてもよいと思うくらいのロマンが不可欠だ。もし、資格取得や就職先の選択にありがちな打算的な態度で結婚を考える人が増えていけば、世の中、ますます晩婚化や非婚化、さらには離婚率アップが進むに違いない。 次に、高齢者と若者の世代間コミュニケーションにおける満足感、楽しさについて検討している発表があった。アイデアは面白いと思うのだが、調査対象では「祖父母←→孫」関係が圧倒的多数を占めていたのがちょっと気になった。 確かに形式的には、20歳代の若者と65歳以上の祖父母との交流は世代間コミュニケーションに相当するだろう。しかしそれらの交流の大部分は、孫たちが生まれた時からずっと続いていたものである。祖父母が65歳を超えた時に「きょうから高齢者と若者のコミュニケーションに移行します」というようなものではないだろう。ということもあり、初めて出会った高齢者・若者間に研究対象を絞ったほうがよいのではという気がした。 もう1つ、高齢者がどのように人生を過ごすのが適応的かということに関して、活動理論と離脱理論を比較検討する発表があった。これは2月16日の日記で紹介した3回生の研究の発展であった。もっとも、対象としたのは、種々のイベントに集まってくるような元気なお年寄りばかり。こういう人たちに調査しても、活動理論しか出てこないのではないかなあ。 離脱理論に注目するのであれば、たぶん、ホスピスや緩和ケアの対象となった人たちに話を伺うというのが適切ではないかと思うが、これはこれでかなりの配慮を必要とする。むしろ、元気なお年寄りの中で ●いつまでも活動理論オンリーの生涯現役主義を貫く。病気になった時のことは、その時に初めて考えればいい。 という生き方をしている人と、 ●今は元気だが、人は必ず死ぬものだ。元気なうちにsoft-landengのプロセスを考えておく という生き方をしている人の間で、日常行動にどういう違いが出てくるかを比較検討していったほうが生産的ではないかと思った。 次回に続く。 |