じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
このところ好天に恵まれ、農場の「岡大米」は順調に実りの秋を迎えようとしている。今年は大豊作か。



9月25日(月)

【ちょっと思ったこと】

家族間の関心格差

 夕食時、妻に「ねえ、田中くん、どこから指名されたか知ってるか?」と訊いたら「そんな、おじさんネタは興味ない」と言われた。「じゃあ、プロ野球でいちばん弱い球団は?」と訊いたら、すぐさま某家族から「楽天!」という声が...。そうか、プロ野球には全く関心がなくても、楽天が弱いということだけは知られていたのか。中途半端に勝つよりは最弱路線を売り物にしたほうが宣伝効果があるかもなあ。

 夕食時には「ヘイ!ヘイ!ヘイ!」のスペシャル版をやっていたようだが、私なんぞは、登場人物の名前の読み方さえ分からない。「倖田來未」などという難読芸名が出てきたので、某家族に「あれは、“まちだ らいみ”と読むのか?」と訊いたら、「こうだ くみ」なんだそうな。そういう知識は持っているわりに、幕張がメロンの産地だなんて思っていたとは、いったいどういう世界に住んでいるんだろう。

【思ったこと】
_60925(月)[心理]日本教育心理学会第48回総会(9)実践者の目と質的心理学

 準備委員会企画シンポジウム:

●学生は質的心理学の教育から何を得るか<

の感想の続き。




 まず、昨日ご紹介した

動きながら識る、関わりながら考える〜心理学における質的研究の実践〜

だが、T氏からいただいた本が私の手元にも1冊ある。2800円という値段は学生にとってはちょっと高めだが、値段に見合ったボリュームがあり、入門者にとって分かりやすく、かつ興味の持てる内容になっている。出版社は、ナカニシヤ出版。ISBN:4888484554。




 さて、話題提供の2番目のN氏は、心理臨床家養成と質的心理学について話題提供をされた。N氏はまず、Scientist-Practisioner Model(科学者実践家モデル)に言及された。このことは、少し前、日本行動分析学会第24回年次大会の基調講演で、I先生からも言及されたばかりであった(9月4日の日記参照)。もっとも、両者のお考えには若干のズレがあったように感じた。I先生がずっと実験心理学に関わってこられたことを思えば、その違いは当然であるとも言えよう。

 N氏は、「科学者の目」と「実践者の目」を区別した上で、「科学者の目」は、研究法一般の教育による訓練を重んじること、いっぽう「実践者の目」については、村瀬(1981)を引用し、「心理臨床実践で必要とされる心構え」として次の4点を強調された。
  • 柔軟性・能動性をもつ
  • 症状のもつメッセージを受け取る
  • 対象に応じた治療技法を使う
  • 環境との関係に目を向ける
 これらの心構えは質的研究において必要な技法と対応しているというのが、話題提供の趣旨であると理解した。

 心理臨床家には、上記に加えてもう1つ、

●絶えざる仮説生成と修正

という本来の「グラウンデッドセオリー」が強調する技能・態度がある。これは、実際に使用されるグラウンデッドセオリーでありがちな尚早なラベルづけや仮説生成とは異なるものである(←長谷川のメモに基づくため不確か)。

 この日記や私の紀要論文などでも繰り返し指摘しているように、「質的研究」というのは、決して「質的データを扱う研究」という意味ではない。むしろ、対象に接する態度や、考察の進め方に重要なポイントがある。このことが分かりやすく説明されていたと感じた。




 3番目のO氏の話題提供は、保育者養成を目的とした短期大学における教育実践例の紹介であった。グループで行う卒業研究の1つとして「親子のくすぐり研究」の事例が紹介された。ポイントとしては 、「子どもを観る目を養うこと」、「生身の子どもや親との関わり」、「対象者との関係の自覚化」、「対象者を多角的に観る目」が挙げられ、保育者養成校において質的心理学が学生に伝えることとしては
  • 子どもの発達を発見する(したがる)癖、何かありそうと勘ぐる姿勢
  • 生身の人と関わる・影響を与えるという責任感
  • 理論から現象を、その現象から別の理論も
  • ひとつの現象に含まれる複数のストーリー。多角的な視点を統合すること。
などがある(←スライド画面からのメモ)ということであった。

 以上の内容はだいたい理解できたが、実際に紹介された事例を拝見する限りでは、特に「質的心理学だからできる」ということではなく、量的な実験的研究であれ、現場での実践であれ、子どもの発達研究ではどれも大切なことであろうというようにも思えた。実験研究といっても何も平均値の有意差で個体間比較をするだけが実験研究ではない。単一事例研究もあるし、そもそも、量的な研究を軌道に乗せるためには、行動のカテゴライズ(質的分析)や機能分析が欠かせない。これらをセットにした「観る目」を養うことはぜひとも必要であろう。

 話題提供の終わりのほうで、O氏は
  • 研究に貢献する質的心理学→ 知識が社会に蓄積する
  • 実践に貢献する質的心理学→ 知識が人に蓄積する
ということを強調された。卒業研究のレベルではなかなか社会に貢献するような情報を蓄積することはできないかもしれないが、それに関与した学生は、着実にそれを蓄積し将来に活かすことができる。これによって、子どもを観る目や現象を捉える視点は、勘や資質ではなく技術として継承されていく。

 「知識が社会に」と「知識が人に」というフレーズはなかなか素晴らしいアイデアだと感心したが、上記同様、必ずしも「質的」に限らなくてもよいようにも思えた。

次回に続く。