じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 田んぼに映る日の出。ありふれた田園風景のようにも見えるが、
  • 田んぼに水が張られた直後であること(稲が育つと水面が見えなくなる)
  • 薄雲がかかっていて太陽が丸く見えていること(晴れすぎると眩しくて撮影できない)
  • 日の出直後ではなく、しばらく時間が経った時にその場所に居合わせていること
などの条件が揃わないとカメラに納めることができない。

 今回の場合は、田んぼの水量がイマイチであったが、何とか条件が揃った。2005年6月19日の日記に、今回より良い条件で撮影した写真がある。



6月7日(木)

【思ったこと】
_70607(木)[教育]第55回中国・四国地区大学教育研究会(9)他者の情報をどう活かすか:学会年次大会とFD研究会の違い

 連載の最終回。

 今回出席した中国・四国地区大学教育研究会は、会則第2条に

●本会は、大学(短期大学を含む)における、主に教養教育に関する研究を行うことを目的とする。

となっているが、研究成果を発表する学会組織ではなく、中・四国地方の大学が組織単位で会員となり、年1回、主要大学のローテーションで大会を開催することになっている。発足は昭和28年というから、当該年度における私の年齢と、この研究会の開催回数はぴったり一致する。つまり、私が55歳になる年に55回大会が開催されるというわけだ。

 ちなみに昨年度の開催校は岡山大学、今年度が香川大学、来年度は鳥取大学となっており、このローテーションが守られると、鳥取大の後は、山口大→A→高知大→B大→広島大→愛媛大→島根大→徳島大→岡山大、...というように続く(AまたはBのところに私立大が入る場合がある)模様である。

 主催校になるとその前年度からの準備が結構大変になるが、再び岡山大に回ってくるのは私の定年の1〜2年前となる。もっとも昨今の情勢のもとでは、地方の国立大学法人が10年後にも同じ形で存続しているという保証はない。大学改革の嵐がそのままローテーションの変更に反映することになりそうだ。




 さて、この種の研究会というのは、組織体制ばかりでなく、発表内容においても、一般の学会発表とは性格を異にしている。今年の5月に、

●他者の体験の情報的価値

という話題を取り上げたことがあったが(初回は5月14日)、この研究会の場合はどのように考えたらよいのだろうか。

 まず言えることは、話題提供の内容がそれぞれの大学の組織的な取り組みを反映しているということから
  1. 過去の実績をふまえた、堅実な実施例であること。
  2. 学生や社会に対して、教育責任を負っていること。
  3. 大学の対面にも関わる可能性があること。
といった点で、一般の学会発表内容とは大きく異なる。

 つまり、一般の学会発表では、奇想天外なアイデアを披露したり、結果的に失敗に終わってしまったような研究であっても、信頼性・妥当性のある報告内容であれば、情報的価値のある発表として高く評価されるであろう。

 しかし、大学教育に関する組織的取り組みということになると、やってみなければ分からないというような冒険は許されないし、不易な部分が土台になければ成果を上げることはできない。また、わざわざ失敗事例を大々的に公表することもあるまいと思う。従って、一見「これは素晴らしい」と思われるような取り組みであっても、その報告を鵜呑みにするのではなく、実施上どのような困難があるか、どういう失敗があったのか、多様なルートで情報を集めていく必要がある。




 個人レベルの体験談と異なり、大学教育改革の実践報告というのは、他大学にとってかなり有用な情報的価値があるようにも思える。なぜなら、理念・教育目的の違いや地域的特性があるとはいえ、それぞれの大学の教育システムは、設置基準のもとで実質的には大きく似通っており、適用条件を若干調整するだけで自分の大学でも活用できる可能性が大きいからである。であるからして、こういう研究会にはもっと多くの教員が参加すべきである。個々人の教育信念や個人体験を表明したり、あるいは自分の学部内の経験だけを頼りに改革を進めようとしても、井の中の蛙に陥ってしまう。参加者名簿を拝見したところでは、各大学から参加した教職員・学生の数は、国立大で10人前後(主催校を除く)、公立・私立大で数名前後であったようだが、各学部(あるいは教養教育にかかわる部会)から複数の教員が出席するというくらいの規模になれば、もっと多様で実りある交流ができたのではないかと思う。