じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山大学構内の紅葉情報の第23回目は農学部前のメス樹の楷の木の紅葉(2007年12月9日撮影)。昨年12月3日の写真と比べると、鮮やかさは数段劣っている。今年は、果樹で言うところの「おもて年」にあたっていて、例年になく種をいっぱいつけていることが作用しているものと思われる。写真下はその、種の様子。

 ちなみに、図書館横の楷の木のうち、少なくとも東側の樹はメス樹であるが(西側の樹は未確認)、今年は殆ど実をつけなかったため例年になく鮮やかに紅葉した。


12月9日(日)

【ちょっと思ったこと】

ホームズ彗星41回目と、ふたご座流星群

 12月9日の夕食後、双眼鏡でホームズ彗星とアンドロメダ銀河を久しぶりに見比べることができた。通算41回目。ホームズ彗星のほうが4倍くらいに大きく見えていたが、アンドロメダ銀河の中心部よりは若干暗くなっていた。ペルセウス座α星からはかなり遠ざかり、双眼鏡の同じ視野にやっと入る程度となった。北極星側に向かって尾が伸びているように見えるのは気のせいだろうか。

 12月10日の早朝もよく晴れていたが、ペルセウス座自体が半田山の真上の低い位置にあるため彗星を確認することはできなかった。なお、朝5時40分前後、ふたご座の真上で流れ星1個を目撃。方向は北から南。明るさは1等星級。ふたご座流星群の出現期間は12月5日から12月20日頃までで、ピークは12月15日(土)の03時頃になると予想されている。早朝5時半頃の散歩がますます楽しみになってきた。
【思ったこと】
_71209(日)[心理]学士教育課程のコンセプト(3)戦略的基礎教育プログラム改革(2)大学院と学士課程におけるFD義務化

 昨日の続き。

 講演では、次に、大学院教育におけるアメリカモデルの特徴として、
  • アメリカでは、大学おt教員は、「大家」と「店子」の関係。
  • 教員は、教育とは別の次元の競争的環境に適応した組織を作って自力で研究
  • 教員は原則として、教育のために雇われ、必要におうじて学士課程や大学院課程のプログラムを担当。「大学院教員」はむしろ例外的。
  • 学士課程は、工学系や情報系など一部を除けばリベラルアーツ系。よって、異なる大学、学部とは異なる領域の大学院に進むことが多い。
  • 将来の職業に関わる知識・技能は大学院または職業学校で身につけるとされている。
  • アメリカモデルの特徴は、双方向性を重視したコースワークと、意識的に作られた多様性(特に学生のバックグラウンドの多様性)という点にある。
といった点が挙げられた【配付資料に基づき、長谷川が独自に要約】。

 さて、ここで重要になってくるのは、日本の大学院におけるFD義務化の意図である。17年答申の意図するところは、単に個々の教員の授業改善という意味のFDではない。大学院の役割を見直し、プログラムを再構成するべきだというメッセージが含まれていると、演者は指摘された。

 ではいっぽう、平成20年度に予定されている学士課程のFD義務化はどうだろうか。演者によれば、日本の学士課程は、医学、法学、工学、農学などの実学や職業的分野が主体であって、アメリカのようなリベラルアーツ系中心とは異なる。じっさい、リベラルアーツ系が学士課程の中心を占めたことはなかった(←午後のセッションで紹介されたように、日本でもごく一部の大学はリベラルアーツ中心の教育を行っている)。

 演者によれば、学士の種類が少なかった70年代までであれば、他大学との相対評価によって水準管理が可能であったが、学士の種類が多様化したいまの日本では、もはや分野ごとの横断的な質保証は不可能であり、機関自身の責任による質保証への転換が求められており、このことがFD義務化と結びついているということであった。




 以上の部分について、私の理解した範囲で感想を述べさせていただくと、まず、大学院教育において、明確な目的・目標を掲げた上で教育プログラムを再構成するという点については、私の大学でもかなりの改革が進んでいるように思える。とはいえ、もともと、医歯薬系や工学系では、それぞれの達成レベルを明示した教育が行われており、特段、内容が変わるということは無さそうだ。もちろん、タコツボ型からコース型への変化はあると思うが。

 いっぽう、文系の大学院教育でも、「明確な目的・目標」は検討されているが、学問の性質上、その表現はかなり抽象的なものにならざるをえない。また、タコツボ型をコース型へと言っても、そもそも、それぞれの領域の担当教員は、教授プラス准教授の2名程度に限られているのが現実であるからして、教員と院生の関係が根本的に変わるということも起こりにくい。但し、そういう文系でも、毎年度、各大学院生ごとに、達成目標や指導内容を明示した報告書を提出することが義務づけられるようになってきた、と言うことはできる。

 上記の講演で指摘された「機関自身の責任による質保証への転換」をどう実質化するのかはなかなか難しい問題である。形式的なチェック、例えば、成績評価基準を明示しているかといった点は容易にできるけれども、現実にどういう形できめ細かく指導を行っているのかは、精査できるわけではない。学生の授業評価アンケートでは、厳しい指導をしている教員への評価が若干低めに出るという情報もある。また、同僚もしくは専門委員による1〜2回程度の授業参観では、教え方の上手・下手くらいは分かるかもしれないが、半期15コマ全体についての進め方や、コース全体の中での位置づけについてのチェックまではできないであろう。ま、個々の授業が雑多で断片的であっても、学生自体のレベルが高ければ、自身の力で体系的な修得をめざすことはできるとは思うけれど...。

 次回に続く。