じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡山大学構内でお花見(41)アジサイ アジサイは大学構内各所で見られるが、座主川沿い(写真上)は周りの緑と融け合っていて特に素晴らしい。写真下は、大学構内ではなく、近くの岡山県総合グラウンドの北東角(桃太郎スタジアム外壁)に植えられているアジサイ。 |
【ちょっと思ったこと】
福永光司先生「死とは生まれる前の自分にかえること」 28日(土)の朝にテレビのスイッチを入れたら、 ●NHKアーカイブス あの人に会いたい という番組に、中国哲学者の福永光司先生が登場しておられた。ウィキペディアの当該項目でも紹介されているように、福永先生は老荘思想・道教研究の第一人者である。体格がよかったので徴兵されることは確実であり、また戦争に行けば必ず死ぬという事態に直面した福永先生は、いろいろな哲学や宗教を学ぶが、最後に行き着いたのが荘子の思想であったという。 私自身は、荘子の思想については全く素人であるが、かなり関心を持っている。「死とは生まれる前の自分にかえること」というお言葉は、100%その通りだと思っている。 今回の番組では、中国の思想には、北部の「馬の文化」と南部の「船の文化」があること、前者は儒教、後者は道教に結びついており、後者では、七五三といった奇数を基本にした考え方があるというお話があった。これに対して、儒教は偶数を重んじる。 確かに、物事を二分してデジタル的にとらえる考え方は儒教や西洋哲学一般に近いようにも思う。もっとも、2003年2月13日の日記にも記したように、儒教の新しい学問体系とされる朱子学は理と気の二元論だとよく言われるが(2001年3月21日の日記参照)、形(体)・気・理からなる三元論であるという説もある。と思ってネットで検索したら、「朱子学は道教」とか、「朱子学は道教ではない」という議論が交わされていることが分かった。 余談だが、昨年8月24日の日記に記したように、中国の故宮や、モンゴルの寺院のお寺には神獣が配置されており、その数は奇数となっている。ということから、北のほうでも奇数を重んじる文化があったように思っていたのだが、うーむ、よくワカラン。 |