じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
2008年の「この1枚」 毎年、12月の終わりに、その年でいちばん印象に残った写真1枚を再掲することにしているが、今年の1枚は、「携帯を囓った白い犬にお説教をする私」(2008年9月13日掲載。但し、撮影日は2月頃)。 この犬にプリペイド携帯を囓られたおかげて、私は半年以上、携帯無しの生活を続けていたが、今年の11月頃から「プリモバイル」なるプリペイド型携帯でもっぱらEメイルを送受信するようになった。写真に写っている白い犬ってこちらの犬とよく似ているような気がする。まさか新機種を買わせるために意図的に囓ったのではあるまいなあ。 なお、2002年〜2007年までの「この1枚」は以下の通り。2001年以前については特に「この一枚」は選んでいなかった。
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【ちょっと思ったこと】
年末のガソリンと灯油の価格 29日からの帰省に備えて、行きつけのスタンドに給油と、灯油を買いに行った。土日割引+会員割引後の価格は1リットルあたり93円。灯油のほうは18リットル1098円であった。 過去日記を検索したところ、
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【思ったこと】 _81228(日)[心理]日本園芸療法学会第1回大会(13)広井氏の話題提供(1) 2つの基調講演に続いて、パネルディスカッションが行われた。 パネルディスカッション「園芸療法の多分野への可能性」パネルディスカッションでは、まず、広井氏から、園芸療法と医療・福祉制度との関係、園芸療法とコミュニティ・都市政策との関係についての話題提供があった。 広井氏によれば、現在の医療・福祉制度では「急性疾患モデル」が中心となっているが、医療消費者団体(COML)会員へのアンケート調査によれば、もっと幅広いケアが求められているということであった。またそれを充実するには診療報酬においても広いケアを行う視点が必要である。では現行の診療報酬にはどういう問題点があるのか。 今回の話題提供を拝聴して初めて知ったのだが、なんと、このシステムの原型ができたのは今から50年も前の1958年であり、当時は診療所(開業医)がモデルになっていたのだという。それゆえ、病院、とりわけ入院部門への評価が薄く、また「高次医療」、「チーム医療」、「医療の質」という点でも評価が低くなっている。 もう1つ、現在の医療は、「1つの病気には1つの原因物質が対応しており、それを除去すれば病気は治療される」という特定病因論に依拠しているところが大きいという。そこでは「原因物質によって病気がもたらされる」という単線的な因果関係が想定されている。この特定病因論は、感染症の治療や外傷治療には絶大な効果をもたらしたところであるが、現代日本では、そうした感染症治療(公衆衛生、開業医中心)よりもむしろ、慢性疾患(病院中心)、さらには老人退行性疾患(高齢者ケア)が大きな比重を占めるようになっている。またいっぽうで、精神疾患も拡大している。 スライド資料によれば、一人の人間が必要とする医療費の49%は70歳以上になってからであるという。また、一生の前半(15〜44歳)で罹る病気は、精神的・社会的なもの(精神疾患、交通事故)が多いという。 というような現状からみて、病いは「複雑系」、つまり、心理的要因、環境との関わり、社会的要因を広く含み、異なるケアモデルの融合が必要であるというのが広井氏の御主張であった。なお、この連載で、中村氏が「複雑系」に言及されたと書いたことがあったが、話題提供の中でこの言葉を正式に使ったのは、中村氏ではなく広井氏のほうが先であったことをお断りしておく。 話題提供ではさらに、
ところで、現在、世間では「医師不足」の問題が大きく取り上げられている。このことに関しては私は全くの素人でよく分からないところがあるが、ウィキペディアの当該項目によれば、 医療費抑制政策に転換以降、厚生労働省は長らく、1948年の医師数算定法に定められた「標準医師数」に基づき「医師不足はなく、偏在しているだけである」という見解を守り通していたが、新臨床研修医制度の影響などもあって、地域医療の崩壊(医療崩壊)が現実化するなかで、現場の勤務医の訴えが国民の耳に届くようになり、ついに、2008年6月、舛添要一厚労相のもと「安心と希望の医療確保ビジョン」が打ち出され、「医学部定員削減」閣議決定の見直しとともに、医師養成数の増加の流れが確かなものとなった。という流れになっている模様である。同じくウィキペディアの当該項目には、日本の医師不足の原因として、
産婦人科の救急医療や地方の公立病院閉鎖、ニュースを見る限りでは「急性疾患モデル」に基づいて解決しなければならない問題は山積しているように見受けられる。 一般論として、我々にはみな、平均寿命程度まで生きる権利があり、それを奪うような急性疾患やさまざまな難病、障害に対しては最大限、命を守るための医療体制を保障していくことが不可欠であろうと思う。合わせて、さまざまな事故や犯罪も防止していかなければならない。 そのいっぽう、我々はどんなに長命な方でも120歳程度まで、一般には90歳程度までで死を迎える宿命を背負っているのであって、いかなる医療をもってしてもこれをくい止めることはできない。そこではむしろ、いかにより良い形で人生を全うし死を迎えるかということのほうが遙かに重要な課題となる。それを支えるためには、「急性疾患モデル」とは別のモデル、もしくは、今回提唱されていたような「異なるケア・モデルの融合」がぜひとも必要であるということが、今回の話題提供前半部分を拝聴して、よく理解できた。 次回に続く。なお、ネット接続事情により、この連載は1月上旬まで不規則となる予定。 |