じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内のキノコ(2)キツネノハナガサなど5種

日曜日の午前中に見つけたキノコ5種。
  • A:キツネノハナガサ
  • B:ドクベニタケ?
  • C:菌輪を形成しているが、正確な名前は不明。
  • D:不明。花壇に蒔かれたおがくずの中で育ったようだ。
  • E:センダンの根元に生息。この近辺の切り株にも多数出現している。


6月19日(日)

【思ったこと】
_b0619(日)2011年版・高齢者の心と行動(20) 「楽しい」、「嬉しい」、「喜ぶ」の違い(6)まとめ

 6月17日の日記の続き。

 前回は少々脱線して、中国の「五情」と「六情」と三字経などについて取り上げてみたが、この連載の本来の目的は、「楽しい」、「嬉しい」、「喜ぶ」がどのような場面で誰を主語として何に関連して用いられるのかを明らかにすることにある。その本題に戻って、もういちど特徴をまとめてみると、
  1. 「喜ぶ」は第三者も観察可能。他は推測。
  2. 具体的な結果が伴った時の一時的な変化は「嬉しい」、「喜ぶ」。複合的な状態が作用している時の継続的な状態は「楽しい」。あるいは、能動的、具体的・継続的に行動している時は「楽しい」。
  3. 当人に対して、何かを贈ったり、サービスを提供すると、「〜をいただいて(してもらって)」嬉しい。「〜を喜ぶ」。
というようなことが言えるのではないかと思う。

 先日のダイバージョナルセラピーの講演

「Old age is to be enjoyed not endured(老いることは楽しむこと、耐えることではない)」

というキャッチフレーズが引用されていたが、この場合の「老いることは楽しむこと」は、「老いることは嬉しい」とか「老いることは喜ぶこと」には言い換えができない。要するに、老いること自体を歓迎しているわけでも待ちに待っていたというわけでもないが、老いていく状態において、能動的な楽しみを見つけ持続させることが必要であり、かつそれは可能であると言っているのであろう。

 また、幸せのモノサシ 〜指標づくりの模索〜の中で糸井重里氏が

【糸井氏個人としての幸せ観は】じぶんがうれしいのではなく、相手が喜んでいるのを見て「よかったね」と言っている姿。 【DVDの録画が途中で切れてしまっていたため、長谷川の記憶に基づくため不確か。】

というようなことを述べておられたが、ここでは、自分自身を主語とした「嬉しい」と、他者について観察可能な「喜んでいる」という表現がうまく使い分けられているように見えた。

次回に続く。