じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 台風4号が去ったのもつかの間、南シナ海で発生してその後温帯低気圧化した台風5号と梅雨前線の影響で、岡山県岡山では再びまとまった雨が降った。降水量は、6月21日が37.5ミリ、6月22日は13.0ミリ(朝まで)、そして6月の合計は191.0ミリとなって6月末まで一週間を残した時点で平年値171.5ミリを上回った。写真は水浸しになった大学構内のグラウンド。

6月22日(金)

【思ったこと】
_c0622(金)マイケル・サンデル5千人の白熱教室 (6)金銭的インセンティブと「ウチとソト」

 昨日も述べたように、講義では、いろいろな事例が挙げられ、金銭的インセンティブの是非についての判断・考察が求められた。そして、金銭的インセンティブの効用はある程度認められるが「秀でた目的を閉めだす」という弊害のほうが大きい、という方向に議論を誘導していった。

 その中で挙げられた興味深い事例の一番目は、
  • 1990年代に、スイスの議会は原子力の放射製廃棄物処理場の候補地として山の中の小さな町を決めた。議会が承認を下す前に町民に対して調査を行ったところ、「もし議会が決定をして、処理場をあなたの町に置いたら、構いませんか?」という質問に対しては51%の町民が「はい。構わない」と答えた。
  • ところが、「この提案を受け入れる代償として町民1人1人に毎年6000ユーロという補償金を払います。そうすれば受け入れてもらえますか?」という質問をしたところ、「構わない」という人が51%から25%に半減した。
  • 標準的な経済論理からすると「金銭的なインセンティブを与えれば、もっと受け入れてくれる人が増えるはずだ」となるはずだが、実際は逆説的な結果であった。なぜ、そういう結果になってしまったのだろうか?
    【講義録はこちら
 この議論については、6月17日の日記でも指摘したように、サンデル流の「議論の誘導」が見られたが、とにかく、
  • 【スイス議会の】最初の質問のときには「自分の地域や国のために必要だから犠牲になろう」という責任感から「構わない」と答えた人が51%に達した。
  • ところが、お金を払うという話が出たことで、犠牲や「共通善」ではなく、お金のためにする堕落感が生まれた。
  • 町民は全体のためになる犠牲は払うけども、お金のために家族を危険に晒したくないということで「構わない」が25%に半減した。
  • お金という要素が入ると、ある他の価値観、つまり態度や価値、規範など市場では図れない価値が閉め出されてしまうことがある。
という方向でまとめられた。

 こうした事例は、ウチとソトの世界(あるいは内集団と外集団)をめぐる心理学の諸研究からも分析・解釈ができる。要するに、人間の場合は、社会的な好子や嫌子が、物質的な好子や嫌子を上回る強化・弱化機能を持つことがあるということだ。その場合、ウチとソトでは、行動の結果がもたらす効果が異なる場合がある。例えば、自分の家の中や職場をいつもしっかり掃除しているのに、外を歩いている時に、平気でゴミをポイ捨てするというような人が居る。この場合、ポイ捨て行動は一般にはモラルの欠如として受け止められるが、モラル向上を抽象的に呼びかけるよりも、「自分の家の中や職場」は「ウチ」、それ以外の場所は「ソト」という別の世界になっていることを改めさせることのほうが、より効果的である。ちなみに、街中でゴミを拾いながら散歩する人の場合は、街中も「ウチ」の世界に含まれていることになる。このほか、ウチの世界では、ある程度自己犠牲的な行動であっても、それが内集団全体に貢献することで強化されることが多い。

 上掲の例の場合、補償金という話は、国全体を「ウチ」から「ソト」に追いやり、自分たちの町のまわりにウチとソトの強固な境界線を作ってしまったと解釈される。ま、言っていることはサンデル先生とそれほど変わらないように見えるが、「お金」そのものではなくて、ウチとソトの境界をどこに置くのかというように問題の本質を置き換えた点が重要なポイントである。なぜなら、内集団の中であれば、お金のやりとりは必ずしも弊害をもたらすとは限らない。内集団へ貢献したことにプラスして支払われる報酬は必ずしも「貢献」という好子の機能を弱めるものではない。また、先の大震災でも見られたように、義援金という形でお金を出し合うことは内集団の凝集性を高めることにもなるだろう。ところが、国の損害賠償責任を求めて裁判を起こすというような話になると、訴える集団と国全体の間には「ウチ」と「ソト」の境界が引かれることになる。

 次回に続く。