じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 大学構内の芝地に今年もキクメタケ(もしくはムラサキホコリタケ?)が出現した。昨年は、2014年7月1日と、2014年11月5日に記録が残っている。

2015年06月18日(木)


【思ったこと】
150618(木)NHK 100分 de 名著43「荘子」(11) 利用されること

 昨日の「役立たずの木」についてもう少し書いておく。クヌギの巨木は、大工の棟梁からは「散木」と見なされたが、神木としてはそれなりに役立っている。この木が人里に生えていた場合、神木として祀りあげられなかったとしたら、ジャマな木として切り倒されていたことであろう。但し、山奥でひっそりと生えていたのであれば、それが巨木になれるかどうかは、他の木々や病害虫との生存競争にかかっている。但し、いずれにせよクヌギ自身は、神木になることを望んでいたわけではない。結果として、周囲から神木として「利用」されることになっただけである。

 現代社会はある意味では「相互利用社会」とも言える。美しい言葉で言い換えれば、「互恵互助社会」、「お互いを思いやり助け合う社会」でもあるが、本質的には、お金という「自分のために他人を働かせるツール(他人からサービスを受ける仕掛け)」を使って、他人を利用して生きていく社会であると言えるかもしれない。家族や限られた集団の中では善意や無償の愛というのもあるが、それだけでは社会全体は成り立たない。

 であるからして、現代社会で生きていくためには、
  • 他者から利用される人間として生きる(=世間に役立つ人間)
  • モノや権利を占有し、他者にそれを利用してもらう代わりに自分も他者を利用する(=格差の本質。金融資産、貯金、不動産の賃貸経営など)
  • 人として生きる権利を守り、制度に保護されて生きる(=社会福祉制度、年金など)
のいずれかに頼らざるを得ない。いかに隠遁生活を望んでも、完全な自給自足はできないし、庵を建てても、借地の地代もしくは土地の固定資産税はついてまわる。

 もっとも、役立たずの木の例にもあるように、他者に役立つかどうかは、けっきょく他者が決めることである。自分自身にはその意図が無くても結果的に利用されることはあるし、逆に、他者に役立つ仕事をしているつもりでも結果的に誰かに迷惑をかけている場合もありうる。さらに「役立つ」というのはおおむね、特定の集団、階層、地域、国、民族の中で役立つということであって、その枠を超えた普遍的効果をもたらすものではない。荘子に出てくる「大用」も、決して「普遍的に役立つ」ことを言っているわけではなさそう。


不定期ながら次回に続く。