じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 8月26日で取り上げた岡大構内のももちゃりポートが、いよいよ運用を開始した。初日は、報道関係者が取材をしていたが、私が見た限りでは利用者は誰も現れなかった。8月29日の日記にも書いたように、携帯電話を持っている方であれば会員登録は比較的容易。学会等で岡大に来られた方が、宿舎まで忘れ物を撮りに行く場合、コンビニに買い物に行く場合、ホテルに戻る場合の片道利用などに便利かと思う。ふだん携帯を全く利用していない私の場合は、そもそも登録が面倒。

2015年09月07日(月)


【思ったこと】
150907(月)『嫌われる勇気』(52)「関係フレーム理論」、「ACT」との比較(11)

 昨日の続き。武藤氏の「価値とACT」(『こころのりんしょう、 第28巻01号、2009年3月』)では続いて、「価値とは何ではないのか」として6点が挙げられている。この部分は、8月26日に引用した、

ハリス(2012)の『よくわかるACT:明日からつかえるACT入門』

とよく似た内容になっている。付け加えるとすれば、
  1. 価値は「何かを得る手段」ではない。
  2. 価値は「直線的なもの」ではない。
  3. 価値には失敗はない。
といった点が挙げられる。このあたりは、「いま」とプロセスの重視、自然随伴性重視、進路の柔軟性というように特徴づけられるのではないかと思う。

 では、なぜそこまで価値を重視するのか。これはACTのうち「C(コミットメント)」において、「人生のコンパス」の機能を果たすためであるからとされている【108頁】。ACTというと、その成立の経緯からマインドフルネスと混同されてしまうむきがあるが、コミットメントの部分をしっかりおさえておく必要があるだろう。

 もっとも、私が知り得た範囲では、ACTの入門書で取り上げられている「価値」は、人それぞれがあらかじめ持ち合わせているもので、それをどう明確化し、人生全体の方向づけに活用していくのかというところに焦点があてられているように思う。しかし、本来、価値というのは見つけるものではなく、創り出すものである。創り出すプロセスとしては、
  • 行動と結果との好循環。稀にしか伴わない結果や小さすぎる結果は価値につながらない。
  • 習得性好子の創出。
  • 他の行動や結果との関係づけ。
などが考えられる。いくら言葉が重要といっても、フィクションの世界で生きていくことはできない。現実に根ざした基本随伴性の土台をしっかり築く努力を怠ってはならないというのが私の考えであり、このあたりは、ACTの考えとは異なっている。

 ちなみに、ACTでは、
  • ACTでは、精神的に幸福な状態は常に安定しているわけではなく、幸福ではない、健康でない、つまりそれらが損なわれている状態がノーマルであると考える(Hayes, Strosahl, & Wilson,1999)。
  • 人間は言葉を持った時点から、不健全な状態を内包する存在になったと言えよう。換言すれば、ヒトが言語を持ったことは地球上の他の有機体が持ち得ないような特殊な苦痛を経験するようになったと捉えることができる。そのため、他の有機体と比べた場合に「損なわれている状態がノーマルである」と捉えるのである。(もちろん、言語によって特殊な繁栄をも手に入れることができたのだが)。また、その言語の学習プロセスは、当該のindividualの特異な学習ヒストリーをより悪化・複雑化させることになるのである。
  • このように「損なわれている状態がノーマルである」と捉えると、精神的に幸福ではない、健康ではないという状態は、特異なものでもなく、撲滅できるものでもないことになる。つまり、このような「ノーマル観」に立った場合、人間は不健全な状態を抱えながら、それとうまくつき合い、よりよく生きるということが指向されることになる。

    【増田・武藤(2006). 第五章 ACT精神病理/健康論. 武藤崇編著(2006)『アクセプタンス&コミットメント・セラピ−の文脈 臨床行動分析におけるマインドフルな展開』ブレーン出版 絶版
というように、言語がもたらすネガティブな面に目を向ける傾向(というか、それがノーマルという発想)があるような印象を受ける。言語をポジティブに活用するとなると、ポジティブ心理学とか、Schwarzなどの「実践知」の知見につながっていくのかもしれない。

 不定期ながら次回に続く。