じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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このWeb日記でも何度か取り上げているが、大阪ではエスカレーターに乗る時は右側に立ち、急ぐ人は左側から追い越すという習慣が定着しており、その整然とした並びに感服してしまう。【2005年3月22日や2007年9月19日の日記参照。】 いっぽう、岡山や京都の駅エスカレーターではおおむね、左側に立つ傾向が見られるが、他地域からの旅行者が多いため、その地域の慣習であるかどうかは確認できない。 なお、日本では、上りと下りの2本のエスカレーターがある場合、自分が利用するエスカレーター(下の階にいる時は「上り」、上の階から下の階に行く時は「下り」という意味)は、左側のほうに配置されていることが多いように見える。この場合、右側に立つ慣習があると、反対側のエスカレーターに立っている人の列と接近して交差することになる(写真参照)。左側に立つ慣習がある場合は、反対側のエスカレーターに立っている人とは距離が離れて交差する。これがどういう影響を及ぼすのかはよく分からないが、風邪引きの人と交差する時には離れて立っていた方が安心。 |
【思ったこと】 180319(月)第23回人間行動分析研究会(7)徹底的行動主義とは何だったのか?(3)文脈って何だ?(1) 3月18日の続き。 前回取り上げた背景に基づき、今回の話題提供では、
1番目の「文脈」に関しては、「文脈主義」という立場がある。行動分析学においてこのことが注目されるようになったのは、私の知る限りでは1980年代以降である。1988年にはJEABでPepper(1942)の世界仮説が取り上げられ、その後のRFTやACTの哲学的基盤となった。 Hayes, S.C., Hayes,L.J., & Reese, H.W.(1988).Finding the philosophical core: A review of Stephen C. Pepper‘s World Hypotheses: A Study in Evidence. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 50, 97-111. スキナーの徹底的行動主義は、特に初期の著作には機械主義と文脈主義が混在していると指摘されているが、全体としては行動分析学は、文脈主義の特色を有すると結論されている(武藤, 2001、37?38頁;Morris, 1993; Delprato, 1993を合わせて参照)。 武藤(2001、及びその後の2006年、2011年の関連書参照)によれば、文脈主義はさらに、機能的文脈主義と記述的文脈主義に分かれる。徹底的行動主義はそのうちの機能的文脈主義に分類される。但し、行動分析学の研究者の中には実質的に機械主義の立場で研究を進めている人もいる。 今回、この研究会で「文脈」を取り上げたのは、行動分析学の入門書では、文脈とは何かという点について、これでやっと分かった!というような明解な説明はなされていないように思われる。じっさい、スキナーの『科学と人間行動』の中には、context」という言葉は一度も出てこないし、まもなく刊行される予定の『行動分析学事典』においても「文脈」という項目は採用されていない。 いっぽう、実験的研究の中では「context」を操作している論文がある。同一著者ばかりで恐縮だが、例えば、
次回に続く。 |