じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 8月10日に続いて高知旅行のアルバム。写真は上から、1970年頃、1994年、そして今回撮影した桂浜の写真。波打ち際の風景は殆ど変わらないが、最近は事故防止のため波打ち際に近づくと警告されるようになっているようだ。
 また、海岸から少し離れたエリアは1970年頃とはだいぶ様変わりしている。桂浜水族館自体は1931年に開館していたが、1984年に新館が建設されてそちらに移転。一番上の写真は移転前の風景。

2019年8月12日(月)



【連載】

又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」(3)時間経過の錯覚

 昨日に続いて、8月7日放送の又吉直樹のヘウレーカ!「ボクの時間を増やせませんか」の感想・コメント。

 番組では、続いて、どんな時に時間を長く感じるか、短く感じるか、という話題が取り上げられた。又吉さんの回答は、
  • 時間を短く感じる:作業をしている時
  • 時間を長く感じる:退屈な時
であった。これは私も同感であり、例えば、毎朝6時から8時頃の2時間を考えてみると、普段はこの時間帯にWeb日記を書いているので短く感じるが、旅行中にホテルの客室で出発を待っている時とか、空港で乗り継ぎ便を待っている時などは退屈で時間を長く感じることが多い。

 日本時間学会会長のI先生によれば、

●時間の経過に注意を向ける回数が多いと時間が長く感じられる(時間について注意を向ければ向けるほどその回数が多ければ多いほどその時間がどんどん長くなっていく)

ということであり、
  • 忙しく何か作業をしている時は作業に集中していて時間経過に注意が向かないのであっという間に過ぎてしまう(短く感じる)。
  • 退屈な時は時間経過に注意が向く回数が結構多い(長く感じる)
というように説明された。




 上記とは別に「体験される出来事の数を増やすと時間が長く感じられる」という別の要因があり、これに関連して、「大人の時間はなぜ短いのか?」という話題が取り上げられた。子どもの頃のほうが特別なイベントや新しいイベントがたくさんあるが、大人になると次第に減ってしまいこれが大人の時間を短くしている、と説明された。

 この「あっという間に過ぎる大人の時間」についてはチコちゃんに叱られる!でも2019年1月18日に取り上げられている。その時の感想にも記したが、私自身は、定年退職後の1年半あまりを非常に長く感じている。これは、退職後に、ニュージーランド、キルギス、チベット、オーストラリア、コーカサス、モンゴル最西端を旅行しており、こうした新奇な体験が時間経過を長く感じさせていることは間違いない。

 もっとも、最初に説明された、

●忙しく何か作業をしている時は作業に集中していて時間経過に注意が向かないのであっという間に過ぎてしまう(短く感じる)。

という要因と、「体験される出来事の数を増やすと時間が長く感じられる」という別の要因は、逆方向に働いており矛盾しているようにも見える。なぜなら、楽しいイベントや新しいイベントに参加している時には時間経過には注意が向かない。しかも、子どもの頃は、時間経過に注意を向けながら遠足や運動会に参加したりすることは無いはずだが、子ども時代の時間経過は長く感じられる。

 私の個人的見解だが、これは矛盾ではなくて、どの時点で時間評価をするのかの違いではないかと思われる。要するに、
  1. 何かの作業に集中したり、楽しいイベントに夢中になっていた時は、その終了直後には「あっという間に過ぎてしまった」というように、経過時間を短く感じる。
  2. 作業やイベントが終わってから一定の年数が経過し過去を回想するような場面では、イベントがあった期間は、何も無かった期間に比べて、長く感じる。
ということだろう。2.は記憶に関連しており、厳密には時間評価とは言えないかもしれない。記憶の量が多ければ、その時期の時間は長く感じられるというものである。

次回に続く。