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孫の幼稚園で運動会が行われた。写真は年長組による組み体操。最近では事故懸念から演舞を中止した学校も多いという話があるが、ここの幼稚園では、体操専門の先生の指導を受けて安全に配慮した演舞を実施しているようであった。 |
【小さな話題】 過去も未来も希薄化していくという選択 今回の上京時、孫が出場する運動会を参観する機会があった。私自身が初めて出場した幼稚園運動会は1957年であったから、62年が経過。2世代が循環したことになる。 「又吉直樹のヘウレーカ!」に関連して「いま、ここを生きる」か「時空の関係反応の海で生きるか」という話題を取り上げたことがあったが、目の前で行われている運動会を参観することは「いま、ここを生きる」、62年前の自分自身の運動会やその頃のことを思い出すというのは「時空の関係反応の海で生きる」ことであり、それらを重ね合わせるなかで自分自身の存在を強く感じることができる。 一般論として、「いま、ここ」を過去に関連づけるということは、人それぞれ、
いっぽう、「いま、ここ」を未来に関連づけるということにも
しかし、今回、孫たちに会ったりして思ったことは、もう、ここまで世代交代が進んでいるのだから、自分自身のことについては、もうあんまり深く考えるのも贅沢。時には厳しく接するのが親の役割であるが、祖父母の役割は、どんな時でも暖かく受け入れるだけでよく、ああしろ、こうしろとはとやかく言わないほうが良さそうな気もする。いずれにせよ、高齢者が考える未来というのは、そんなにガッチリしたものであるべきではないし、現実問題として、健康など不確定要因に逆らえないゆえにガッチリとは決められない部分も多く、加齢とともに希薄化していけばそれでよいじゃないかという気もしている。 |