じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 孫の幼稚園で運動会が行われた。写真は年長組による組み体操。最近では事故懸念から演舞を中止した学校も多いという話があるが、ここの幼稚園では、体操専門の先生の指導を受けて安全に配慮した演舞を実施しているようであった。


2019年10月7日(月)



【小さな話題】
過去も未来も希薄化していくという選択

 今回の上京時、孫が出場する運動会を参観する機会があった。私自身が初めて出場した幼稚園運動会は1957年であったから、62年が経過。2世代が循環したことになる。

 「又吉直樹のヘウレーカ!」に関連して「いま、ここを生きる」か「時空の関係反応の海で生きるか」という話題を取り上げたことがあったが、目の前で行われている運動会を参観することは「いま、ここを生きる」、62年前の自分自身の運動会やその頃のことを思い出すというのは「時空の関係反応の海で生きる」ことであり、それらを重ね合わせるなかで自分自身の存在を強く感じることができる。

 一般論として、「いま、ここ」を過去に関連づけるということは、人それぞれ、
  • メリット:よき思い出を回想する。過去から累積した成果に基づいていまの行動の価値を高める。
  • デメリット:嫌な出来事を思い出す。後悔する。
という両面があり、メリットが大きい人は回想にふければよいし、過去のしがらみが悪影響をもたらしている人はきっぱりと過去を断ち切ったほうがよい場合もある。とはいえ、過去の都合のいい出来事だけに関連づけるような器用なことはできないので、ほどほどに受け流す程度にとどめたほうがよい場合が多い。

 いっぽう、「いま、ここ」を未来に関連づけるということにも
  • メリット:目標をめざすことにより、「いま、ここ」の行動の価値を高められる。目標達成の進捗状況を確認できる。迷いがなくなる。
  • デメリット:先のことを思い悩む。
という両面があり、これまた、人それぞれで、ほどほどに受け流す程度が無難という場合が多い。

 しかし、今回、孫たちに会ったりして思ったことは、もう、ここまで世代交代が進んでいるのだから、自分自身のことについては、もうあんまり深く考えるのも贅沢。時には厳しく接するのが親の役割であるが、祖父母の役割は、どんな時でも暖かく受け入れるだけでよく、ああしろ、こうしろとはとやかく言わないほうが良さそうな気もする。いずれにせよ、高齢者が考える未来というのは、そんなにガッチリしたものであるべきではないし、現実問題として、健康など不確定要因に逆らえないゆえにガッチリとは決められない部分も多く、加齢とともに希薄化していけばそれでよいじゃないかという気もしている。