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2020年09月のウォーキング総括。2020年9月は、総歩数25万3135歩、1日あたり8438歩となり、前月8月の1日あたり8847歩を下回ったものの、前月7月の1日あたり8257歩は上回り、1日8000歩以上(但し坂道の上り下りを含む)という目標を達成することができた。 先月8月は31日間すべての日で1日あたり8000歩以上を継続できたが、9月は7881歩で8000歩に足りなかった日が1日だけあり、連続記録の達成には至らなかった。ちなみに7881歩の日は、別段体調が悪かったわけでも、また雨が降ったせいでもなかった。ウォーキングから戻った時に、8000歩以上歩いているはずだという思い込みがあり、歩数計をチェックせずに寝てしまっただけのことであった。通常、帰宅時に8000歩に達していない時は、もう一度外に出て8000歩以上になるまで歩き回るところであるが、その日はそのチェックを怠っていた。 グラフはいつもの通り、毎日の歩数を少ない順に左から並べたもの。左端の落ち込みは、その月に何らかの事情で歩数が少なかった日があることを示す。右端はその月に最も多く歩いた日の歩数。グラフが水平であればあるほど、日々の歩数がほぼ安定していたことを意味する。8月と9月は、グラフが水平に近くなっており、日々の生活が規則的であったことを示している。 なお、9月の半田山植物園入園回数は25回であり、7〜8月と同様、休園日以外には100%入場しており「皆勤賞」となった。なお1月1日からの合計回数は193回であった。世間ではGOTOトラベルの特典を活かして旅行に出かける人もいるようだが、我が家では相変わらず旅行も帰省も自粛している。けっきょく、妻の送迎のために数回、岡山駅付近まで往復した以外は、岡大、半田山植物園、旭川土手、近隣のスーパー以外はどこへも出かけることなく、この夏が終わってしまった。もっとも、孫たちとはLINEで交流できているし、このところ20年前のパミール高原横断旅行の動画を編集して旅行気分に浸っていて【YouTube公開画像リスト参照】、特段、窮屈でたまらないとか、自粛疲れのような状態には陥っていない。 |
【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(16)セッティング事象とは何か?(2)「世界仮説」 昨日に続いて「セッティング事象」の話題。今回から、 武藤崇 (1999).「セッテイング事象」の概念分析一機能的文脈主義の観点から一. 心身障害学研究, 23, 1313-146. に基づいて、「セッティング事象」についての私なりの考えを述べさせていただくことにしたい。なお、この論文はつくばリポジトリから無料で閲覧できる。 論文ではまず、「三項随伴性(the three-term contingencies)」という分析の枠組みに、文脈的な制御(contextual control)をどのように位置づけるかという問題が注目されるようになってきたものの、文脈的な制御をめぐる概念が、行動分析学内でも複数存在し、またその概念の定義が不統一・不明確であると指摘されていた。前回まで取り上げてきた1999年の日本行動分析学会第17回年次大会のシンポ(北海道医療大学)も、まさにそういう背景のもとで行われたと理解しているが、2020年で「かくも確立操作という概念は検討され続けるのか―三項随伴性の「本質」に関する含意―」というシンポが開かれた【←伝聞による】ことを見ると、相変わらずだなあという気がしないでもない。そもそも行動の科学というのは、絶対的に正しいとか間違っているといったものではない。複合的・連続的に絡み合った行動現象をどういう切り口で捉えれば予測と影響に有効・有用であるのか、という観点から切磋琢磨されていくものと思う。また、この連載でも述べたように、手続段階と理論段階では異なる用語体系が用いられることがある【9月11日の日記ほか参照】。特に、実践場面では、使いやすさや分かりやすさ(←当事者や支援者が素朴に納得でき、ツールとして活躍できること)という観点から用語体系を再整備する必要があるとは思う。とはいえ、武藤(1999)が指摘するように「哲学―概念―方法論―技術」という4つの次元で一貫性を保つ必要はあるだろう。なお、論文中で引用されている、 Baer,Wolf,& Risley (1987) Some still-current dimensions of applied behavior analysis. Journal of Applied Behavior Analysis,20,313-327. は、こちらから無料で閲覧することができる。 武藤(1999)では続いて、機能的文脈主義の哲学的前提に関するPepper(1942)の『World hypotheses』が紹介されていた。私の知る限りでは、行動分析学者の中でPepperの哲学が紹介されたのは、 Hayes,Hayes,& Reese (1988) Finding the philosophical core: A review of Stephen C. Pepper's World Hypotheses. JournaI of the Experimental Analysis of Behavior,50,97-111. あたりが最初ではないかと思われるが、詳しい経緯は分からない【この論文はこちらから無料で閲覧可能】。また、スキナー自身が直接Pepperの影響を受けていたのかどうかも、確認できていない。 [※追記] Hayes, & Brownstein (1986). Mentalism, behavior-behaviorrelations, and abehavior-analytic view of the purposes of science. Behavior Analyst, 9,175-190. にもPepperの引用があることに気づいた【こちらから無料で閲覧可能】。ちなみにBrownsteinはRFTの影の貢献者であり、ヘイズのRFTの本の前書きのところに早世されたBrownsteinへの謝辞が述べられていたと記憶している。 いっぽう、日本国内では、 武藤崇 (2001). 行動分析学と「質的分析」(現状の課題) 立命館人間科学研究, 2, 33-42. あたりが最初の紹介論文かと思っていたが、今回引用させていただいた1999年の論文のほうが2年ほど早く、かつ2001年の論文の引用文献表の中にそのセッティング事象の論文が引用されていたことに気づいた。 『World hypotheses』はその後、武藤先生編集のACTの入門書で詳しく解説されているが、かなり難解な記述もあるゆえ、ACT入門者はその章を飛ばして、その後の章のほうから読み始めたほうがポシャらなくてよいと、半ば冗談で言われることもあるらしい。 セッティング事象の話題から脱線したついでになるが、2001年に開催された ●第30回 京都心理学セミナー ことばと体験をつなぐもの〜心理療法からエコマネーまで【実施報告はこちら】 というセミナーで武藤先生と高橋先生に ことばの「ふるさと」と心理療法〜「閉じた『ことば』の世界」に亀裂を入れるには? という話題提供をお願いしたことがあったが、いっそのこと『World hypotheses』をメインテーマにして機能的文脈主義を紹介していただき、文学部の哲学系の論客もお呼びして議論していただければ、かなりのインパクトがあった可能性もある。当時の哲学系の教室には、その後、著名な哲学者となった某大学院生も在籍しており、もし活発に討論がなされていれば、日本の哲学界にも影響を与えた可能性があった(←少なくとも、トランプとバイデンの間の罵り合いのような口論にはならなかっただろう)。 不定期ながら次回に続く。 |