じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 このところ1月25日の岡山はよく晴れ、日照時間9.2時間を記録した。太陽が顔を出したのは1月21日以来となる。写真は、レンガ造りの建物の屋上に生える松の木。このところの雨で生き生きとしてきた【楽天版(1月11日付け)に関連記事あり。】

2021年1月26日(火)




【連載】#チコちゃんに叱られる!「「空気を読む」っていうのは、なにをしてるの?」

 昨日に続いて、1月22日に初回放送された、NHK チコちゃんに叱られる!の感想と考察。

 本日は、
  1. スーパーで売っている鮭とサーモンってなにが違うの?
  2. 厄年ってなに?
  3. 「空気を読む」っていうのは、なにをしてるの?
という3つの疑問のうち、最後の3.について考察する。

 3番目の「空気を読む」という話題は、2020年11月18日放送の「又吉直樹のヘウレーカ!」でも取り上げられたことがあり、その時の感想・考察を、1月11日と、その翌日に述べたばかりであった。もっとも又吉さんの番組の内容は、同調圧力の話題が中心であり、本来の「空気を読む」から少し外れているような気がした。今回のチコちゃんのほうはどうか?と思ったが、こちらも、「0.2秒の本音」(=相手や周囲の人たちが本音を示すような瞬間的な表情の変化を読み取る)という意味で使われており、またまた、私が考えていた「空気を読む」とは少し外れているように見えた。

 番組では、「空気を読むを科学する研究所」という何だか胡散臭い名前(失礼)の研究所の代表さんが登場しておられた。さっそくネットで検索したところ、この研究所はじっさいは株式会社であり、この会社の公式サイトにあった代表取締役の紹介には、
1982年、東京生まれ。株式会社空気を読むを科学する研究所代表取締役。防衛省講師。特定非営利活動法人日本交渉協会特別顧問。日本顔学会会員。
早稲田大学政治経済学部卒業後、東京大学大学院でメディア論やコミュニケーション論を学ぶ。学際情報学修士。日本国内にいる数少ない認定FACS(Facial Action Coding System:顔面動作符号化システム)コーダーの一人。微表情読解に関する各種資格も保持している。20歳のときに巻き込まれた狂言誘拐事件をきっかけにウソや人の心の中に関心を持つ。現在、公官庁や企業で研修やコンサルタント活動を精力的に行っている。
また、ニュースやバラエティー番組で政治家や芸能人の心理分析をしたり、刑事ドラマ(「科捜研の女 シーズン16」)の監修をしたりと、メディア出演の実績も多数ある。【以下略】
と記されていた。
 研究所代表の清水さんによれば「空気を読むときに人はなにをしているのかというと、周りにいる人の0.2秒だけ見える本音を見ている」、ナレーションでも「人はお互いの表情を見てお互いがどう思っているかを感じあいながらコミュニケーションをとっている」と解説された。
 また同じく清水さんによれば、どんな人間にも生まれつき備わっている7つの表情「喜び」、「怒り」、「悲しみ」、「驚き」、「嫌悪」、「軽蔑」、「恐怖」があり、これらの表情は脳からの指令が顔の筋肉に伝わって作られる。感情をいだいた瞬間に無意識に作られる表情は反射、状況を踏まえたあとで作りかえられる表情は理性であり、この時間差によって「本音」が出てしまうという。




 ここからは私の感想になるが、「顔面符号化システム」自体は、マスク裏の微表情も読み取れるほどでありかなり精度が高いものと思われる。とはいえ7つの表情が「どんな人間にも生まれつき備わっている」かどうか、を含めて、感情の表出、文化差など、まだまだ議論がありそうな領域において、株式会社の営業活動に直結しうるような主張を無批判に紹介してしまってよいものかどうか、NHKの姿勢が問われるようにも感じた。

 瞬間的な表情がすべて「本音」を表すのかも、もう少し熟考を要するように思われる。関係フレーム理論で言われているように、人間は、言葉を通じて、いろいろな関係反応を派生させ、また関係フレームを通じて刺激機能の変換が行われるという。例えば「トランプ」という言葉を聞いた時に瞬間的に嫌悪の表情を示したとしても、それが、トランプ前大統領自身への嫌悪感なのか、関係フレームを通じてトランプ大統領に関係づけられた何らかの不快事象への感情反応なのかは、そう簡単には区別できないだろう。
 もっとも「顔面符号化システム」が本当に「本音」をキャッチできるようになったとしたら、さらに恐ろしいことが起きるかもしれない。例えば、独裁国家の手に渡れば、独裁者への忠誠がホンモノであるかどうかを判定する道具に使われるかもしれない。従来のポリグラフ以上の精度で判定できるようになると恐ろしいことになりそうだ。

 ま、そういった問題は別として、「空気を読む」という元の話題に戻るが、うーむ、ふだんの日常生活場面で、参加者がそれぞれ周囲の人たちの微表情を読み取っているとは到底考えられない。「空気を読める人」というのは、必ずしも、相手や周囲の人たちの表情を素早く読み取れる能力を持った人ではない。1月11日の日記にも書いたように、例えば、
  • 宴会の最中、話題が途切れてしらけてきた時、それを察して、みんなが面白がるような新たなネタを提供する
  • 議論が堂々巡りとなりいっこうにまとまらなくなった時、それを察して、みんなが賛同できるような新しい提案をする
というのも、空気を読むことにつながる。要するに、その場の文脈を総合的に把握でき、かつその文脈に適確に対応できることが空気を読むことの本質ではないかと私は思う。