【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(47)杉山尚子先生の講演(12)佐藤方哉先生の研究(6) 弁別刺激とオペランダム
とびとびの連載になってしまったが、1月16日に続いて、
●佐藤方哉 (2007).見本合わせは条件性弁別であろうか?―概念分析―. 帝京大学心理学紀要, 11, 1-8.
の話題。今回は、オペランダムの概念について考えてみることにしたい。
オペランダムについては、4年ほど前に、
で取り上げたことがあった。
そもそも、オペランダムはなぜ弁別刺激とは言えないのか?ということであるが、リンク先に述べたように、
- 刺激弁別には常に、SDとSΔという両方の刺激が存在する
- 弁別訓練手続とは、SDが提示されている時には、ある特定の行動を強化または弱化し、SΔが提示されている時にはその行動を消去または復帰させること
- オペランダムは、人間や動物が操作する環境の一部
- SDは強化の機会と結びついている。いっぽう、オペランダムは反応の機会を与える
というのが、オペランダムと弁別刺激を区別する理由である。
例えば、レバーというオペランダムが存在している時、
- ライトが点灯している時にレバーを押せば餌が出る
- ライトが消灯している時にレバーを押しても餌は出ない
という場合、ライト点灯は弁別刺激SD、消灯はSΔとなる。では、レバーが壁の穴から突き出したり引っ込んだりする仕掛けのあるスキナーボックスにおいて、
- レバーが突き出している時にレバーを押せば餌が出る
- レバーが引っ込んでいる時は餌が出ない
という場合はどうかということになるが、この場合、2.の条件ではそもそもレバー押しという反応の機会が奪われており、「レバーが引っ込んでいる」という景色はSΔにはなり得ない、よって、レバーそのものは弁別刺激にはなり得ないと考えることができる。
リンク先にも述べたように、「SΔのもとでの消去または復帰」という条件は、弁別訓練の定義上不可欠である。
【この条件を削除してしまうと】何も訓練しなくても、最初から弁別ができてしまうというパラドックスに陥る。例えば、ピアノのある部屋ではピアノを弾くが、ピアノの無い部屋ではピアノは弾けないが、これも、「ピアノというSDの下では行動が起こり、ピアノが無いというSΔの下では行動が起きなくなる」ので、弁別ができているということになってしまう。(本当は、単に、ピアノが無い場所ではピアノを弾けないというだけ。)
もっとも、「SΔのもとでの消去または復帰」という条件は、反応をどうとらえるのかによっても変わってくる。例えばスキナーボックスの四方の壁がタッチパネルになっていて、
- 第一段階では、タッチパネルのどこに触れても餌がでる。
- 第二段階では、タッチパネルのどこかにボタンの写真が表示され、その部分に触れると餌が出るが、それ以外に触れても餌は出ない。
という訓練が行われたとする。この場合、第二段階で「ボタンの写真」というのはSDになっていると考えられる。これは、まず、「タッチパネルに触れる」という反応があって、これが「ボタンの写真」という刺激性制御を受けると考えられるからである。
しかしそうであるなら、元のレバー押しの話題に戻って、壁からいろいろな突起物が出ているスキナーボックスを作ったとする。
- 第一段階では、スキナーボックスの壁のどの突起物の上に脚を置いても【正確には、脚を置いて離すという反応。でないと、脚を置きっぱなしにする反応が強化されてしまう】餌が出る。
- 第二段階では、スキナーボックスの壁の一部からレバーが突き出し、その上に脚を置いたときだけ餌が出る。
というように訓練したとしよう。この場合、「脚を置く」という同一のトポグラフィーの反応があり、これが「壁から突き出したレバー」という弁別刺激によって刺激性制御を受けていると考えることもできるだろう。
不定期ながら、次回に続く。
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