じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 「接写で楽しむ雑草の花」。今回は、マツバウンラン(写真左)とオオマツバウンラン(写真右)。どちらも細い葉をつけるが、オオマツバウンランのほうが背が高く、花が大きい。マツバウンランの花は中央に白斑があるので区別できる。オオマツバウンランは、今季、ウォーキングコース沿いで初めて見つけた。

2021年4月6日(火)




【連載】又吉直樹のヘウレーカ!#106「“なぜ”を愛していいですか?」その3

 昨日に続いて、3月24日に初回放送された、「又吉直樹のヘウレーカ!」:

#106最終回シリーズ この”なぜ”は止まらない!「“なぜ”を愛していいですか?」

の感想と考察。

 番組では科学における「なぜ?」の重要性に続いて、「科学は常に“疑う”」ということの大切さが取り上げられた。科学は「絶対こうだ」とは言わない。又吉さんは、これに関連して、「想像しうることは全部ありえる。どんなことも起こりうるが、「安心できる=面白い」で「ありえる」という理解にならないように気をつけている。」と述べておられた。これに対して塚谷先生からも、「科学は“安心する”ことではない。理解して安心するんじゃなくって、何か答えを見つけたとたん次の疑問が生まれている。」。ペガサスとゴジラの身体構造の実在性を進化の観点から分析した倉谷先生からは、
一般的に科学的仮説・学説というものは信じるものではなく反証可能かどうかで考えます。反証できない限り「そうかもしれない」という可能性が残り、天使のように背中に翼が生えることも絶対ないかと言われると、誰にも確証を持っていうことはできません。しかし進化の傾向としてめったにないだろうと予想することはできます。
というメッセージが寄せられた。さらに塚谷先生は、
あるAっていう主張を強くする科学者がいますけれど、大概の場合、内心では10%ぐらい間違っているかもしれないと思っている。そこが、宗教的な“信じ方”とは違う。現時点ではこのくらいは確かだと思っているという保留つき。
という考えが述べられた。
 以上のところまでの感想だが、この番組を視聴する際には、又吉さんの疑問に共感するだけではなく、視聴者自身がみずから疑問をいだくことも大事であると思う。私がWeb日記を通じて疑問を述べているのも同様。また、ヘウレーカ!ばかりでなく、「チコちゃんに叱られる!」についてこちらに疑問を述べてきたのも同様である。チコちゃんの番組は、子どもにも分かりやすく、という側面もあって、諸説ある説明や由来の中から1つだけを取り上げて誇張したり、エセ科学者っぽい人が納得を与えるだけの、まことしやかな解釈【今回の番組で言うところの「安心させる」だけの「説明」】を述べている場合がある。あっさり納得してしまったらそれで思考停止。家族全体で視聴した場合は、番組終了後にみんなで疑問を出し合ったら、更なる発展に繋がるのではないかと思われる。

 塚谷先生は、「科学・技術」について、日本では科学と技術がセットになっているが、科学は追究することそのものが目的であり、それがどう役立つか、どうお金に換えるのかは二の次、そういう意味では道楽、というようなお話もあった。
 このあたりは、大学における基礎と応用にも関係してくるところだが、地方の国立大学レベルでは、基礎部門の拡充を求めるのはなかなか難しい現状にあるとは思う。

 番組の終わりのところでは、これまでの105回の放送が回想された。又吉さんが、#32「群れない生き方わかります?」(2019年2月6日)で取り上げられたオランウータンが特に印象に残ったという。

 私自身がこれまで感想を述べた回は、こちらに記した通りであるが、感想をのべていなかった回を含めて改めて振り返ってみると【放送順】、
  • #4「サボる“アリ”はいないのか?」
  • #9「“男はつらい”ってホント?」
  • #10「“お前はもう死んでいる”ってホント?」
  • #15「“ヒアリ”のホントの怖さって?」
  • #27「独り言をつぶやくのはなぜ?」
  • #29「4色ボールペンって便利なの?」
  • #73「アリの地下世界 深掘りスペシャル!」
などが特に記憶に残っている。大部分は録画・ダビングしてあるので、そのうち、時間的余裕があれば、感想・考察を追記する予定。