じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 6月25日(金)放送のモーサテ「パックンの眼」で、素数ゼミの1種、17年ゼミが大発生し、バイデン大統領が首元にかじりついたセミを追い払う動画が紹介されていた。

 17年ゼミについては2006年8月26日2015年1月25日の日記などで言及したことがあるが、私の人生で17年ゼミに遭遇できるとしたら今回が最後かもしれない(次回は86歳)。現地では迷惑がられているようだが、「素数ゼミ鑑賞ツアー」というのがあれば、日本から、愛好家が参加するはず。新型コロナの影響で渡米できないのが残念。

 写真の「For 17 year olds, it's all me-me.」は、パックンのジョーク(ダジャレ)。DeepLでは「17歳の人たちは、すべてがミーミーです。」と訳されて何のことか分からないが、「me-me」というのは「私に!」、「私を!」というように「me」の優先を求めることから「わがまま」を連想させ、「今の若者はわがままだ。17歳になるというのに。」というような意味になるらしい。それと同時に、「17歳ゼミは、みな一斉にミーミーと鳴いている」という意味を含むということだが、17歳ゼミに遭遇した人でないと何のことやら分からないだろう。


2021年6月26日(土)



【小さな話題】『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』とタイムトラベル その3

 昨日の日記で、一口にタイムトラベルといっても、
  1. 過去や未来の世界に移動し、第三者として、その世界を観察したり、ある程度関与するトラベル。この場合、トラベラーは、過去や未来の自分自身に遭遇することがある。バック・トゥ・ザ・フューチャーがこれに相当する。このタイプでは、自分が生まれる以前の大昔や、何千年も後の世界に移動することもできる。
  2. 過去や未来の世界に移動し、しばらくのあいだ、そこに生活している自分自身と置き換わることができるトラベル。このタイプでは、過去に失敗した出来事について何度もやり直しをすることが可能だが、移動できる期間は、自分が生まれた後から死ぬまでのあいだに限られる。自分が死んだあとの世界に移動しようとすると、その瞬間に死んでしまうという恐れもある。今回取り上げた『アバウト・タイム』はこれに相当する【但し、過去へのトラベルのみ】。
というように、タイムトラベルには2つのタイプがあると述べた。このうち2.については「移動できる期間は、自分が生まれた後から死ぬまでのあいだに限られる。自分が死んだあとの世界に移動しようとすると、その瞬間に死んでしまうという恐れもある。」と述べたが、自分自身が「いま」の時代から離れて、はるか未来にワープするということ自体はできないわけではない。実際、タイムトラベルの古典とも言える「浦島太郎」は玉手箱を開けることで300年後に世界にワープしているし【但し本人も老人になった】、タイムマシン (2002年の映画)では最長で6億3542万7810年先の未来までタイムトラベルしている。このほか、『Be With You〜いま、会いにゆきます(韓国版)』でも、25歳のスホが時空を超えて一時的に33歳の世界にワープするという点では、未来へのトラベルという設定になっていた。

 さて、ここで考えてみたいのは、もし次の2つの能力のうち1つを貰えるとしたら、どちらを選ぶかという問題である。
  1. あなたは、丸1日分だけ過去の世界に戻り、その場で「やり直し」をすることができる。自分が生まれた後であれば、どの時点にも戻ることができ、回数に制限はない。
  2. あなたは、未来の世界にトラベルし、丸1日だけ未来で生活することができる。但し、自分の死後の時代まで行くことはできない。
 単純にギャンブルで大儲けしようというのであれば、上記の1.と2.のいずれでもそれを実現することはできるかもしれない。1.の場合は、「いま」の時点で分かっている当たり馬券、宝くじ当選番号、急騰株などを調べた上で、過去に戻ってそれらを購入すればよいし、2.の場合は、未来に行ってそれらの結果を調べてから、「いま」の時点でそれらを買えばよい。「いま」の生活において違いがあるとすれば、1.の場合はすでに大金持ちになっていること、2.の場合は、リアルな生活の中で当選や的中を楽しめるという点であろう。

 いっぽう、「しくじり」が修正できるのは上記1.に限られる。2.の場合、すでに生じてしまった「しくじり」は変えることができない。

 このほか、根本的な問題として、未来にトラベルしてそこで得た情報を元に「いま」の行動を修正したとすると、未来の世界は大きく変わってしまう。となると、「未来の世界」のは、「いま」の行動のバリエーションの1つに過ぎず、自分の宿命を予言するようなものではなくなる。であるなら、別段そういう能力があってもなくても、我々の生活は変わらない。クリスマスキャロルのスクルージのように、自分の悲惨な将来を見せつけられて反省する人もいるが、日々切磋琢磨して将来を切り開こうとしている人にとっては、未来へのトラベルができるかどうかは大した問題ではない。というか、未来の実現可能性を予測しながら適宜軌道修正をするのであれば、未来へのタイムトラベルをしていることと変わらないことになる。

 というように考えてみると、もし、「丸1日だけ過去に戻るトラベル」と「丸1日だけ未来に行くトラベル」では前者のほうが遙かに魅力的であるようにも戻る。

 ま、私のように健康寿命があと何年延ばせるのか心もとない状況になってくると、自分自身の将来を知るために未来へトラベルしたいという気持ちは起こらなくなる。孫たちがどう成長するのかは知りたいところではあるが...。

 いずれにせよ、過去であれ未来であれ、タイムトラベルはフィクションの世界。しかし、我々は、過去を回想したり、将来を予測して行動を改善したりできるという点で、タイムマシンが無くても日々、言語行動を通じてタイムトラベルを実践しているとも言える。