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12月24日、岡山県総合グラウンド内のウォーキングの際に、旧・岡山ロイヤルホテルの前を通った。11月26日に比べると、1ヶ月が経過したわりにはあまり進んでいないように見えた。 興味深いのは建物全体ではなく、東側の一部をくりぬくように解体されている点。全面解体ではなく、不要部分を撤去した上でリフォームするということなのだろうか。 |
【連載】チコちゃんに叱られる!「1日の始まりが真夜中である理由」「動物の寿命比較」 昨日に続いて、12月24日に放送された表記の番組についての感想と考察。この回は、「今夜はクリスマスイブ!豪華拡大版スペシャル」で1時間12分にわたって放送された。本日は2と3.について考察する。
まず、2.の1日の始まりの話題であるが、番組では「死にそうになった航海士がクレームをつけたから」と説明された。井上毅さん(明石市立天文科学館)館長によれば、1日の始まりが真夜中の0時と統一されたのは意外と最近で1925年のことであった。それまでは、一般社会では、主として真夜中に日付が変わる常用時が使われていたいっぽう、天文学者は日付の切り替わりを正午にした天文時を使っていた。これはかつてプトレマイオスが提唱したものであり、後悔暦などに使われていた。しかし、1917年、第一次世界大戦中のイギリスで航海士が戦闘中に、常用時と天文学者の航海暦を混同して襲撃を受けたことをきっかけに天文学者たちが集まる国際会議で議論が行われ、天文学者が折れた形で1日の始まりが真夜中に統一されたという。 ここまでの経緯はよく理解できたが、プトレマイオスの提唱があろうと無かろうと、一般社会では真夜中に日付が変わる常用時が使われていた。このこと自体については番組では特に説明されていなかった。これは単に「正午に日付が変わると不便で混乱が起きるから」と考えればよさそうである。 なお赤穂浪士の討ち入りは、 元禄15年12月14日(1703年1月30日)、四十七士は堀部安兵衛の借宅と杉野十平次の借宅にて着替えを済ませ、寅の上刻(1703年1月31日午前4時頃)に借宅を出た。と記されており、いまの日付の定義で言えば12月15日の早朝に始まったことになるが、確か当時の日本では、日の出から翌日の日の出直前までが1日と考えられていたと聞いたことがある。つまり日付の切り替わりは日の出の瞬間であり、討ち入りの開始時はまだ12月14日の夜であったことになる。 このほか、イスラム暦では1日の始まりは日没としているようである。但し、カレンダー機能付きの時計で、日々刻々と変わる日没時刻に合わせた切り替えが行われているとは考えにくい。 次の3では、
このほか、カタツムリやダンゴムシが意外と長生きなのには驚いた。あとミツバチの寿命についてはこちらでは、女王バチは2〜3年、働きバチは約1ヶ月と記されていた。いずれにせよ、蜂の寿命は、役割によって大きく異なるようである。 次回に続く。 |