【連載】チコちゃんに叱られる!「ぽち袋のぽち」「お年玉はあげるものか、やるものか」
昨日に続いて表記の番組についての感想と考察。今回からは1月7日放送分。この時は、
- ぽち袋の「ぽち」ってなに?
- なんで水族館は暗いの?
- なんで鼻をつまむと声が変わるの?
- 最も割れにくいシャボン玉はどれだ!?最強シャボン玉決定戦
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。
ポチ袋の「ポチ」の由来は、「これっぽっちの「ぽち」」であると説明された。もっとも、語源的には、「ぽち」は独立した言葉であり、「これっぽっち」、あるいは「それっぽっち」というのは「ぽち」と「これ」や「それ」が合体した熟語であるように思えた。じっさい、辞書で調べると「ぽち」には、
- 新明解:[1]「△小さい(小さく突き出た)点」の口頭語的表現。「ぼち[1]」「ぽっち[1]」「ぼっち[1]」とも。/[二](接尾)
わずかしか無いことを表わす。ぽっち。「これっぽちじゃ しかたが無い」
- 大辞泉:1 小さい点。また、小さい突起。ちょぼ。ぽつ。ぽっち。「字の横に―を打つ」/2 (関西地方で)雇い人や芸者への、心づけ。祝儀。チップ。
- 日本国語辞典:@ 小さい点。ぽつ。ちょぼ。また、小さくつき出た部分。ぼち。/A 芸妓や茶屋女などに与える祝儀。京阪地方でいう。はな。チップ
- 三省堂国語辞典:[一]【ポチ】(名)@ポツ。A犬につける代表的な名。B〔俗〕力のある者にしっぽをふる存在。/[二]【ぽち】(接尾)不足の気持ちをあらわす。だけ。ぽっち。「あれっ━」「これっ━」/[三]【ぽち】(造語)〔─ぽち〕〔←法師〕人をあらわすことば。ぽっち。「やせっ━」
といった説明があり、小さい(少ない)が元の意味であるように思われた。1月8日とその翌日の日記で、擬態語の音声的特徴という話題を取り上げたが、「パピプペポ」という半濁音や「ち」という音は、小さいモノ、僅かなモノを表す擬態語と結びつきやすいように思われる。
いずれにせよ、もともとは粋を重んじる商人が遊郭でチップを渡す時に広まり、昭和30年頃からお年玉を入れる袋として「ぽち袋」が登場したようである。私自身は昭和27年生まれなので、物心ついた時からすでに袋に入ったお年玉を貰っていたが、ポチ袋という呼び方は妻から教わるまで全く知らなかった。
なお、犬の名前のポチについては、2020年6月19日の初回放送で取り上げられていた。
番組では続いて、お年玉の金額についての調査結果が紹介された。
- 平均金額は4970円
- 高校1年生にいくらあげるという質問には関東は平均10410円、関西は7548円。
- 関東は親戚・友人の子より自分の子どもに多くあげると答えるのが比較的多く、いっぽう関西では自分の子どもにはあげない人が多かった。
というような内容であった。この調査ではお年玉の最高金額は100万円であり、就職直前の24歳の息子に贈られたものということであるが、就職祝いというか、生活の自立を支えるための贈与ということであれば、このくらいの金額を渡しても不思議ではないように思う。但し、暦年贈与の基礎控除額は110万円になっているので、これを超えるお年玉は贈与税の申告が必要となる。この場合の110万円の非課税枠は受け取る側の総額であるゆえ、両親や祖父母から別々に110万円ずつ貰うと贈与税が発生するという。また暦年贈与であるゆえ、12月31日に110万円を渡し、翌日の1月1日に追加で110万円を渡した場合は非課税になるはずだ。
ここからは脇道に逸れるが、上記のお年玉の金額や渡し方についてのインタビュー場面で気になったのは、多くの人が「お年玉をあげる」と表現していたことであった【1名だけ「お年玉を渡す」と表現している人もいた】。放送自体の文字やアナウンサーも「あげる」で統一されており「やる」は使われていなかった。私のような昔人間には、子どもへのお年玉は「やる」、桃太郎は家来にきびだんごを「やる」、自分を褒めて「やる」、ペットの犬には餌を「やる」、庭の植物には水を「やる」,,,いっぽう、母の日のプレゼントは「あげる」というように、相手が目上の場合と目下の場合で区別するように教えられたものだが、「やる」という表現は廃れてしまい、相手が誰であっても「あげる」に一元化されてしまったのだろうか。
ネットで検索したところこちら【第1445回放送用語委員会(東京)2020年2月21日】で、
授受動詞「あげる」「やる」
という話題が取り上げられていた。その記録の冒頭では現行の『NHKことばのハンドブック』(2005 年)の
「あげる」は元来,目下が目上に対して何かを与えることを意味する謙譲語であり,目上が目下に与えることを意味する「やる」に対立することばである。しかし,最近では,自分の子どもや犬,猫などの動物,あるいは植木などの植物のように,明らかに敬意を必要としない対象に対して「あげる」を使う例が多く聞かれるようになった。例文:「犬にえさをあげる」
...〔中略〕...現在ではまだ,「あげる」を目下や動植物に対して用いることには抵抗を感じる人がかなりいる。放送ではなるべく使わないほうがよいことばの一つだと言えよう。(p.12)
という部分が引用されており、このことについて意見交換がおこなわれたようである。いくつか、なるほどと思われる意見を抜粋引用させていただくと、
- 「やる」から「あげる」への移行は,一種の言語変化としてとらえることができる。
- 「子どもの勉強を見て〔やる/あげる〕」の場合,自分の子どもが対象であれば「やる」だが,ほかの人の子どもであれば「あげる」を用いるような使い分けがあるように思う。
- 具体的な物のやりとりがなされる「授受動詞」の場合と,「教えてあげる」のように前に別の動詞が伴う「補助動詞」の場合とでは,状況がやや異なるのではないか。
- 非謙譲用法に対する感じ方には男女差がある(女性のほうが「あげる」の支持率が高い)が,そうしたことを超えて放送での使用をどのように中立的に規定したらよいのか,なかなか難しい。
- 方言差の問題もある。九州では基本的に「やる」しか使わず,東京の人が言う「花に水をあげる」には違和感を覚えていた。
次回に続く。
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