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1月7日の日記に、北九州の某神社でどんど焼きが中止されたことを記したが、岡山市内では少なくとも2箇所でどんど焼きが行われたことが確認できた。
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【連載】瞑想でたどる仏教(21)瞑想中に生じるマイナス反応 1月6日に続いて、NHK-Eテレ「こころの時代」で、4月から9月にかけて毎月1回、合計6回にわたって放送された、 ●瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する のメモと考察。今回から最終回(第6回「「心を師とすることなかれ」の内容について取り上げる。 第6回では、このシリーズのメインテーマである瞑想についてより詳しく解説された。マインドフルネス瞑想と、仏教瞑想の類似点、相違点についても取り上げられていた。 番組の冒頭では、瞑想中に突然、煩悩が生じるといった副反応について言及された。智の『摩訶止観』【但し、要旨。句読点・改行などの改変あり】にも、 瞑想中に突如生じる煩悩は制御することが難しい。と記されているという。 こうした副反応が生じる原因について智は、 心はあたかも早い流れのようなもので、と喩えているという【句読点・改行などの改変】。蓑輪先生によれば、川の流れの中に棒きれを差し込むと水の盛り上がりが生じるが、これが副反応であるという。中條アナからは「そうすると、棒をわざわざ挿さないほがよいのではないか」という質問が出たが、そうすると普段の心の流れ、つまり煩悩に身を任せた生活になってしまい、悩みや苦しみは尽きないことになる。 こうした副反応は戯論(心の拡張性)によって生じるが、重要なポイントは、こうした心の働きが生じることを止めようとするのではなく、それらに支配されないことであり、これが今回のサブタイトル「心の師となるも 心を師とすることなかれ」を意味している。瞑想を通じた修行をすると、私たちの心の中に新しい回路ができる。その回路ができてくると、日常生活をしていても、いざという時に働き出して悩みなどを起こさなくなると考えられているという。 ここまでのところで少々脇道にそれるが、上掲の「川の流れに棒を挿す」や「心の中に新しい回路ができる」という表現はすべて喩え話であり、証拠に基づいて主張されたものではない。それでも多くの人が納得するのは、やはりメタファーの力ということか。 さて、『摩訶止観』によれば瞑想中に生じる代表的なマイナスの反応には以下の4つがあるという。
まず、煩悩が生じた時の対処法は「治法」と呼ばれるが、治法の内容は瞑想者の気質によって決まってくるという。智は、人々の気質にはだいたい4つのタイプがあると考えており、これらは3つの要素のベン図とその重なりで説明されていた。
上記の中で興味深いのは、智が気質によるタイプ分けをしていることであった。サトタツあたりが何か言及しているかと思ったが、確認できなかった。 あと、瞑想中には、マイナスの反応ばかりでなく、ポジティブな反応もいろいろ起こるはず。例えば、初恋の楽しい思い出、子育て中の楽しい経験、美味しい料理、スポーツ大会で優勝した時の喜び、他人からの感謝の言葉、ペットの犬との交流、海外旅行先の絶景などなど。こういうももの煩悩としてひとまとめに扱ってしまってよいものかどうかは疑問が残る。 次回に続く。 |