Copyright(C)長谷川芳典 |
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2月15日の岡山は夕刻に雨雲が通過し、その合間にいったん日が射した時にかすかに虹が出現(写真左)。 2月16日の早朝は西の空に月齢14.7の月が、またその後、備前富士の山麓からの日の出を眺めることができた。ちなみに、備前富士頂上からの日の出は例年2月22日前後となっている(昨年の写真はこちら)。 |
【連載】コズミックフロント「宇宙をひらく 究極の“時間”に迫れ!」(4)運動法則の中に「時間の矢」は無い 昨日に続いて、1月6日に初回放送された表記の放送の感想・考察。 放送では続いて、 ●運動法則の中に「時間の矢」は無い という興味深い話題が取り上げられたが、物理学を苦手とする私にとっては、さっぱり理解できなかった。 「時間の矢」とは「物事が時間に沿ってある方向に流れていくこと」であるが、物理学の法則では時間が一方向へと進むものだとは決まっていないという。 まず挙げられたのは、10段ほどの階段の下から上に向かってサッカーボールを投げ上げる動画を逆再生すると、階段の上から下にボールを投げ下ろしているように見えるという例であった。このことから物理学の上では、時間はプラスにもマイナスにも動くことが可能と説明された。 しかしこの事例はどうも胡散臭い。そもそも、ボールを投げ上げる時には、投げ下ろす時よりも力が必要であり、手や腰の動きが大きくなるはずだ。また手からボールが離れる時の初速度は大きくなるはずである。いっぽう投げ下ろす時はそれほど力を入れる必要がないし、階段の下で受け取る人は制止したまま手を広げるだけでよい。なので、投げ上げる時と投げ下ろす時の動作が自然であれば、再生した時と逆再生した時を見分けることができるはずだ。「物理学では時間が一方向へと進むとは決まっていない」と説明されていたが、ここでは、階段の位置エネルギーーが関与している。このことは、平らな場所でキャッチボールする時を考えれば分かりやすい。ピッチャーが投げたボールをキャッチャーが受け止める動画を逆再生すれば、このことは簡単に見破れる。 続いて松浦壮先生(慶應義塾大)から、ニュートンの運動方程式の解説が行われた。運動方程式は、F=maとして表されるが(力=質量×加速度)、このaという加速度には時間の矢は含まれていない。より詳しく説明すると、
このあたりまでのところで感想を述べさせていただくが、ここで言われていることは、運動法則には時間の概念は必要ないということではなくて、あくまで「時間の矢」は必要ないということのようであると理解した。しかし、これ自体は、スイッチバックの線路上を電車が順方向と逆方向に走っているようなものであり、走っている動画を見た時には、どちらが電車の先頭であるか、あるいはその動画が再生されたものか逆再生されたものかは区別できないという喩えで理解できるように思われる。宇宙の遠くにある銀河の1つで我々の銀河とは逆の時間が流れていることが観測できれば面白いとは思うが。 では、それにもかかわらず我々が「時間の矢」を当たり前のように感じるのはなぜか? そこで登場してきたのが「バラバラ具合」である。時間の矢の原因は、運動法則ではなくて、「バラバラに散らばっていくものは取り返しがつかない」にあるということである。放送の中では一度も言及されなかったが、バラバラというのはエントロピー増大則を意味しているようであった。 次回に続く。 |