じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 10月29日の19時50分頃、南西の空に月が沈んでいく様子を眺めることができた。撮影時の月齢は3.9。三日月かと思ったがこの日は旧暦の10月5日にあたるので「五日月」であった。月齢が少ない割に旧暦5日となるのは、今回の新月が10月25日の19時49分という遅い時刻であったためと考えられる。なおこの日の23時36分には月が最近となるので、最も大きな月の入りとなった。
 この月は11月8日に皆既月食となるが、今回の月食では同時に天王星食が見られるので大いに期待している。もっとも現時点での11月8日の予報は日本気象協会の予報では曇、ウェザーニュースでは曇時々晴れとなっている。

2022年10月30日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「拍手をするのは体に触りたいけど手が届かないから」という胡散臭い「説明」

 10月28日に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この回は、
  1. 人はなぜ拍手をする?
  2. 「国宝」ってなに?
  3. 【2018年6月29日と同じ疑問】電車に乗っていると眠くなるのはなぜ?
という3つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの1.について考察する。なお、今回は、久しぶりに胡散臭い解説が2つもあった(1.と3.)。また、3.は2018年の疑問を再度取り上げたものであったが、過去記録を見ると、その回は視聴も録画もしていなかったことが判明したので、今回初めて感想・考察を述べさせていただくことにする。

 さて、1.の拍手の理由だが、放送では「体に触りたいけど手が届かないから」と説明された。人間をはじめ動物の行動を研究している小林朋道先生(公立鳥取環境大学環境学部)によれば【長谷川の聞き取りのため不確かな部分あり】、
  • 人はスゴいパフォーマンスを見たらその人の体に触って「私はあなたを応援していますよ。友好的な気分ですよ。」という気持ちを送りたくなる。
  • 人を含めた多くの動物で見られるのは、友好的な気持ちの場合には、触れたい、握手したい、そういう衝動にかられることが多い。
  • 【ナレーション】相手が目の前に居れば触れることができる。しかし、コンサート会場やスタジアムでは、応援したい!、すごい!と友好的な気持ちを伝えたくても、遠くて手が届かない。
  • 距離が離れている時には音を出すことによって友好的な気持ちを伝えたい性質がある。
  • 友好的な音とは比較的高い音。高い音というのは「友好的」「敵対的ではない」と直観的に感じてしまう。
  • 【ナレーション】確かに普段は低い声で愚痴っていても、電話では高い声になる。お母さんが赤ちゃんに話しかける声も高い声になる。敵対するチームに送るブーイングや足を踏みならす音は低く、批判的気持ちを出す。
  • 低い音を出すことは、いつわりなく体が大きい、戦闘能力が高いことの信号になっている。その反対の特性を持っているのが高い音で、体が小さい、弱いことを示す。
  • 【ナレーション】例えば体の大きいライオンは低い声。いっぽう小鳥は高い音で鳴く。つまり高い音は体が小さく弱い、危害を加えないという信号。拍手の高い音は友好的だという気持ちを音で手の届かない人に伝えるためだったのです。
とのことであった。このあと放送では、オバマ大統領就任演説、イチローの年間最多安打記録達成時(2004年)、ショパン国際ピアノコンクールで2位となった反田恭平さんへ送られた拍手(2021年)が紹介された。また終わりのところでは塚原さんから、小林先生の「拍手は音だけでなく、手と手を合わせる動きが触りたい欲求を解消してくれている」という追加コメントも紹介された。

 ここからは私の感想・考察になるが、多くの動物たちが体をすり寄せるような行動をとることで友好的な関係を維持していることは小林先生のご指摘の通りである。また人間では、握手や抱擁のように体を触れ合うような挨拶をしたり、子どもの頭を撫でていい子いい子してあげることもある【但し、これには文化的な差違があり、日本人は普通は抱擁しない。また民族によっては、子どもの頭を撫でることがマナー違反になる場合もある】。
 しかし、今回取り上げられた「拍手」が、そうした接触行為の代替であるという説は極めて疑わしい。また、おそらく放送時間の制約のための編集の結果だとは思うが、納得できない点がいくつかあった。ざっと挙げてみると以下のようになる。
  1. 放送の前半では「触れる」という接触行為の意義が示されていたが、後半では「拍手の音」が高い音なので友好的な信号になるというように、話題がすり替わってしまった【最後のところの追加コメントでは「拍手は音だけではない」と一応断っているが】。
  2. 動物が発する鳴き声の役割は音の高さだけで決まるものではない。
  3. 「拍手」という行為は文化的な慣習であり、動物の行為のアナロジーとして説明するには無理がある。
 まず、1.の件だが、「人はスゴいパフォーマンスを見たらその人の体に触って『私はあなたを応援していますよ。友好的な気分ですよ。』という気持ちを送りたくなる。」というのが本当だったとしても、遠くにいる人は触れないから代わりに拍手するというのはかなり飛躍がある。「気持ちを送る」だけならば手を振ってよいし、飛び跳ねてもよい。とにかく、なぜ拍手が人の体に触ることの代替行為になるのかが説明されていない。また高い音声で「気持ちを送る」というのであれば、拍手の音だけが特別に高い音というわけではなく、歓声を上げたり口笛を吹いたりすればよい。

 次に2.の件だが、放送では雄ライオンの低いうなり声と、小鳥の「ジージージー」という高い鳴き声が比較され、「高い音は体が小さい、弱い、危害を加えない」という信号になると説明されていたが、小鳥たちは別段、自分たちが弱くて危害を加えない存在であることをアピールするために鳴いているわけではない。シジュウカラのように多様な鳴き声を発する鳥もいるし、ウグイスのように縄張りの主張で鳴く鳥もいる。音の高さに対応した信号だけで区別されるとは限らない。
 なお、人間の発話で高い声と低い声が与える印象の違いや効果についてはチコちゃんの番組の「なんで女性は電話に出ると声が高くなる?(2018年10月12日放送)」でも考察したことがある。人間の声に関して「体が小さい=力が弱い、危害を加えない、かわいらしい、無害」という印象を与えること自体は定説になっているようである。しかしそのことを認めたとしても、拍手が高い音だから同じ効果を持つというのはコジツケに過ぎないように思う。実際、応援団のドンドンドンという太鼓の音などは高い音には聞こえない。

 最後の3.であるが、もし拍手が本能的な行為として備わっているのであれば、つまり、笑顔や泣き顔と同じように生まれつき備わった行為であるとするならば、そういう行為は人類共通であり、時代にかかわらず見られるはずであろう。しかし、実際には、拍手をするという行為は全ての人類が時代を超えて行っている行為とは言いがたい。ウィキペディアによれば、
明治以前の日本には大勢の観衆が少数の人に拍手で反応するといった習慣はなく、雅楽、能(猿楽)、狂言、歌舞伎などの観客は拍手しなかった。明治になり西洋人が音楽会や観劇のあと「マナー」として拍手しているのに倣い、拍手の習慣が広まったものと推測される。1906年(明治39年)に発表された夏目漱石の小説『坊っちゃん』には「(坊ちゃんが)教場へ出ると生徒は拍手をもってむかえた」との記述がある。
という記述があり、少なくとも日本で拍手という行為が意味をもつようになったのは明治以降のことである。このように文化的な流れに依存して慣習化した行為を、動物の鳴き声の高い音、低い音と同様の本能的な行為のようなものにこじつけて「説明」するのは間違っていると思う。

 では、なぜ拍手をするのか?ということだが、一番の理由は大勢の集まりの中で一体感を示すため(=周りの人と同じ行動をとり、大きな音が聞こえてくることで強化されている)と考えるのが妥当なところであろう。なので、誰かを称えるという場合だけでなく、全員で拍手をする場合もある。
 もちろんその行為の般化として、何か嬉しいことがあった時とか、満足した結果が得られた時には、人が集まっていないところでも拍手する場合がある。例えば、テレビで野球中継を観ていて、自分の応援する選手がホームランを打った時に拍手をするという場合など。また、以前、皆既日食見物に行った時のことだが、皆既食が終わって太陽が再び現れた時に拍手をした人が居たことがあった。皆既日食は自然現象なので拍手をしたところでどうなるというものでもないが、おそらくその人は、コンサート会場で「スゴイ!」と感動した時に送る拍手の行動の般化として、皆既日食現象に拍手を送ったのではないかと推察される。

 次回に続く。